百足城
百足城(むかでじょう)は、岐阜県飛騨市古川町高野にあった日本の城(平山城)。姉小路家一門の城と考えられている。別名垣内山城[1]。 概要・歴史姉小路高綱の隠居城といわれる[要出典]。享保年間(1716年-1736年)の飛騨国代官・長谷川忠崇が編纂した『飛州志』に記載があり、古くから城跡として認識されてはいたが、同書には「百足城。同村(古川郷高野村)ニアリ、來由未詳。」としか書かれていない[2]。このため城主や築城年代は確定していないが、姉小路家古川氏の城とされる古川城の1キロメートル以内に位置するため、古川城の支城とも考えられている[3]。 城郭土塁、郭、堀、虎口、櫓台が残る[要出典]。城地図にて櫓台は北櫓台と南櫓台がある[要出典]。 2017年(平成29年)度の飛騨市教育委員会による試掘調査では石垣が検出されている。石垣の構築法が金森氏による織豊時代の石垣と異なることから、姉小路氏による築城か、後の三木氏による改修があった可能性が推定されている[3]。 脚注参考文献
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