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百貫坊
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(
2013年1月
)
百貫坊
百貫坊
(ひゃくかんぼう)は、
日蓮正宗
総本山
大石寺
の塔中坊の一つ。表塔中にある。
歴史
1290年
(
正応
3年) - 大石寺創建と同時に第2祖
日興
の弟子である上蓮坊
日仙
を開基として建立される。当初は
上蓮坊
(じょうれんぼう)と呼ばれる。
1893年
(
明治
26年)
8月12日
- 後の第62世
日恭
が住職となる。
1908年
(明治41年)
11月5日
- 改築される。
1909年
(明治42年)
6月8日
- 焼失し、
1911年
(明治44年)に再興される。
1922年
(
大正
12年)
12月28日
- 後の第65世
日淳
が住職となる。
1972年
(
昭和
47年)
7月27日
- 改築される。改築にあわせて同年5月28日に66世
日達
が現在の本堂安置の板本尊を書写。
2008年
(
平成
20年)
12月16日
- 立正安国論正義顕揚750年記念局総本山総合整備事業の一環として改築される。
寺院の特徴
大石寺総代、歴代法主を輩出するなど数百年も続く家系の信徒も多い。
大石寺の筆頭総代を代々務める井出家(現総代は井出光彦)が所属している。
関連項目
日蓮正宗寺院一覧