白勢春三白勢 春三(しろせ しゅんぞう、1863年2月6日(文久2年12月18日[1])- 1941年(昭和16年)5月25日[2])は、日本の政治家、新潟県多額納税者[3][4]、資産家[5]、地主[6]、実業家。衆議院議員(新潟県新潟市選出、当選1回)[7][8][9]、貴族院議員[3][10][11]。新潟商工会議所顧問[3][11]。族籍は新潟県平民[6][12][13]。 人物越後国蒲原郡(のち新潟県北蒲原郡金塚村、現在の新発田市金塚)生まれ[8]。白勢彦次郎の長男[9][12]、白勢二朔の養兄である[11]。新潟英語学校に学んだ[7][8]。1888年、家督を相続した[3][13]。 新潟市に於ける名望家であり、諸種の実業団体幹部役員及び新潟市会議員同参事会員、同市会議長、同商業会議所議員、同会頭、同特別議員等に挙げられ、衆議院議員に当選し、1905年、日露戦争の功により勲四等に叙せらる[3]。 1932年、貴族院議員に互選され[3]、同年9月29日に就任し[14]、研究会に所属して1939年9月28日まで1期在任した[2]。また諸会社の重役に挙げられた[13]。第四銀行、新潟貯蓄銀行各頭取[3][9][12]、白勢合名代表社員[9][11]、新潟水力電気[12]、新潟信託、二葉社、新潟農園各社長[3][11]、台南農林、日本石油、新潟倉庫、愛隣社各取締役などをつとめた[3][11]。 貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有した[1]。住所は新潟県新潟市本町通八番町[9][13]、同県中蒲原郡石山村[3][4][6][11]。 家族・親族
脚注
参考文献
関連項目 |