白い船
錦織良成監督による「島根3部作」の第1作。 概要島根半島のとある小学校(塩津小学校)の児童たちと「白い船」との交流の実話を描いた映画で、2000年刊行の倉掛晴美著「海の子の夢をのせて」(石風社)を原作とする。映画化にあわせて小説化もなされており、早坂真紀著「白い船」(新潮社)が刊行されている。 錦織はしまね映画祭の頓原町と美保関町の会場に出向いた帰りに平田市に立ち寄った際、塩津小学校とフェリーの交流の話を耳にした所から映画化を決意した[1]。 公開後の2002年8月には本映画を記念して塩津地区に「白い船公園」が整備され、監督・俳優陣のサインが刻まれたモニュメントや主題歌の歌碑が設置されている。 「白い船」のモデル「白い船」のモデルは、かつて室蘭港 - 直江津港 - 博多港を結んだ九越フェリー[註 1]の「れいんぼうべる」「れいんぼうらぶ」である。 1996年4月、東日本フェリー傘下の九越フェリーが直江津と博多を結ぶ航路を開設し「れいんぼうべる」が就航し週3回運航、定期航路による日本一周が可能となった。翌1997年3月には僚船「れいんぼうらぶ」も就航し同航路は毎日運航となった。1998年には直江津 - 室蘭との直通運航となり再度週3回運航になった後、2001年「ニューれいんぼうべる[註 2]」「ニューれいんぼうらぶ[註 3]」が就航し旧船は売却されたが、新船も2006年12月の同航路休航ののち、商船三井フェリーに譲渡された。なお、 航路は再開されないまま廃止となっている。 映画のモデルとなった交流は1998年6月に平田市立塩津小学校の児童が学校の窓から見えるフェリーに気付き、5・6年の社会科授業にて九越フェリーへ質問状を送り返答があった所から始まった[2]。交流開始後に塩津小学校の児童が「れいんぼうらぶ」(1998・2001年)・「ニューれいんぼうらぶ」(2005年)に乗船したほか同校の児童が制作した壁新聞が船内に掲示されており[2]、九越フェリー船内に掲示されていた塩津小学校からの手紙や壁新聞を見た倉掛晴美がフェリーと小学校の交流を知り取材し「海の子の夢をのせて」として書籍化した[2]。なお、映画で主に登場したのは「れいんぼうらぶ」であるが、「れいんぼうべる」は宮崎カーフェリーへ譲渡後に映画『LIMIT OF LOVE 海猿』で使われるなど、両船とも映画と縁の深い船であった。 2019年3月の塩津小学校閉校に際しては[3]、閉校前年の学習発表会において本映画の錦織良成監督と主演の中村麻美の講話、主題歌を担当した角松敏生らによる演奏が行われた[4]。 キャスト
スタッフ
ロケ地脚注註出典
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