田麗玉
田 麗玉(チョン・ヨオク、전여옥、1959年4月19日 - )は、大韓民国の政治家、元国会議員。元ハンナラ党スポークスパーソン。KBS東京特派員時代に書いた『悲しい日本人』で日本でも知られる。ソウル出身[1]。 放送記者時代1982年2月、梨花女子大学校社会学科卒業。1981年11月から1994年まで韓国放送公社(KBS)報道本部記者として勤務し、1991年1月から1993年8月まで東京特派員。特派員時代の経験を書いた毒舌的日本女性論『日本はない』(1993年出版)がベストセラーとなり、日本でも『悲しい日本人』(金学文・訳、1994年出版)と題してたま出版から翻訳出版された。以後、『日本はない2』や『女性よ、テロリストになれ』、『札幌でビールを飲む』などを執筆、毒舌評論で知られる。この間、西江大学校公共政策大学院国際関係政治学科を卒業し、梨花女子大政治学科大学院博士課程に入ったが休学中。 政界入り以降2004年3月ハンナラ党に入党し、同年4月の総選挙で国会議員に当選、同党広報責任者に就任した。与党ウリ党批判に得意の毒舌を振るう。2男1女の母親でもある。 李明博大統領就任後に行われた2008年4月の第18代総選挙で再選された。第18代国会では、国土海洋委員会委員や出産高齢化対策特別委員会幹事、ハンナラ党の戦略企画本部長などを務めた。2012年3月、4月に予定されている第19代総選挙におけるセヌリ党(ハンナラ党が2012年2月に党名改称して発足)の公薦から脱落したことをきっかけに同党を離党して、保守系中道新党「国民の考え」に入党した[2]。総選挙では比例名簿1位で立候補したが、セヌリ党と民主統合党の狭間で埋没した結果、0.7%の支持に留まり議席を獲得できず落選した[3]。その後、2016年時点では政界に戻る意思はないと明言した[4]。 なお、田は朴槿恵がハンナラ党代表であった時期に彼女を補佐し、報道担当者を務めたが、大統領候補選挙の途中に李明博の方に鞍替えした[4][5]。補佐官を務めた時期から朴槿恵と崔太敏・崔順実の関係を知っていたため、朴槿恵は大統領を務める資質がなく、大統領になったら大変なことになると述べた[4][6]。ただし、朴のプライバシーに配慮して長い間にメディアでこのことを言わず[4]、崔順実ゲート事件の発覚以降にようやく朴槿恵の過去について話した[6]。また、国民の力元代表の李俊錫とも仲が悪い。2011年当時、田は李と一緒に放送に出演したが、入党ばかりの李はそこで「朴槿恵キッズ」として田を「背信者」と呼んだため、田も李を「朴衛兵」と呼んで応酬した。さらにその後に李は何事もないように田に挨拶し、田を驚かせた[7]。 2023年5月末には大腸癌4期の闘病中であると公表した[8]。 盗作問題2004年、オーマイニュースが『日本はない』に、他人のアイデアや資料が盗用されたとの報道を行ったことに対し、民事訴訟でオーマイニュースに対する民事訴訟を起こしたが、2007年7月、裁判所は「報道内容は事実である」との判決を下し、田は敗訴した。その判決を不当であると主張した者が、「裁判所に爆弾を仕掛けた」と嘘の電話をマスコミにした。2010年1月15日、控訴審でも田は敗訴した。2012年5月18日、大法院3部は、原告敗訴の判決を下した原審を確定した[9]。 略歴学歴
経歴
脚注
外部リンク
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