田村純一 (実業家)田村 純一[1](たむら じゅんいち[1][2]、1907年(明治40年)9月4日[2] - 没年不明)は、日本の政治家、実業家。久米桜酒造会長。鳥取県公安委員会委員長[3]。 経歴鳥取県米子市糀町出身[1]。父・田村源太郎、母・あさの長男[2]。家業は肥料商、酒造業[4]。米子中学校を経て[1]1929年、神戸高商を卒業、同年に田村源太郎商店に入り、酒造肥料商に従事する[2]。1939年に米子市会議員に当選、1943年に再選する[1][2]。米子市翼賛壮年団長をつとめる[1]。 企業整備により家業を転廃業、米子境商業統制組合、米子市総合配給所の各専務理事に就任する[1]。1947年、公職追放を受け[5]、同年に久米桜酒造を創立し社長に就任[2]。1952年、米子市教育委員に当選する[2]。1963年、米子ロータリークラブ会長[2]。 米子瓦斯監査役、米子信用金庫監事、米子酒造組合理事長、同県連合会長、県公安委員、調停委員、米子商工会議所常議員、博愛病院理事、米子酒販取締役などをつとめる[1]。 人物趣味はテニス[1]、囲碁、ゴルフ、写真[2]。宗教は日蓮宗[1][2]。住所は米子市糀町2丁目[1]。 家族・親族
脚注
参考文献 |