田村正敏
田村 正敏(たむら まさとし、1947年1月8日 - 1998年9月25日[1])は、日本の新左翼活動家。元日本大学全学共闘会議(日大全共闘)書記長。 経歴東京都出身(ただし、出生地は埼玉県川口市)[1]。 日大全共闘書記長として、委員長の秋田明大とコンビを組む。日本大学文理学部哲学科を中退した[1]。 闘争後、書店経営などを経て、1975年6月から北海道に移住した[1]。1983年の北海道知事選挙では「横路孝弘と勝手に連帯する若者連合」(愛称・勝手連)を発足させ、日本社会党推薦で前衆議院議員の横路孝弘を当選させる[1]。 勝手連運動の後は、北海道伊達市館山町にコンピューター専修学校・情報芸術学院を設立して、理事に就任した[1]。1987年4月の札幌市長選挙に無所属で立候補したが落選する[1]。1996年の第41回衆議院議員総選挙では埼玉2区から自由連合公認で立候補したが、こちらも落選に終わった[1]。 著書
脚注 |