田代有三
田代 有三(たしろ ゆうぞう、1982年7月22日 - )は、福岡県福岡市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。元日本代表。 来歴福岡大学時代は、大学No.1FWとの評価が高く、3年時に大分トリニータ、4年時にサガン鳥栖に特別指定選手として登録され計公式戦11試合に出場。2005年に鹿島アントラーズに加入。2006年から出場機会を増やし、2008年には巻誠一郎らの負傷により、東アジア選手権2008(中国・重慶)の追加メンバーで日本代表に初招集され、2月17日の北朝鮮戦で代表デビュー。2月20日の中国代表戦では、前半17分に駒野友一のクロスボールに反応し、潰れ役となる形で決勝点となる山瀬功治のゴールを生んだ。また後半43分にはゴールネットを揺らすもオフサイドを取られ、代表初得点とはならなかった。 鹿島では2008年J1第5節千葉戦以降25試合ゴールがなく、FW興梠慎三とのポジション争いの結果、控えに回ることが多くなり、田代をターゲットマンとする戦術はオプションの1つとなっていた。2009年には新加入のFW大迫勇也の台頭もあり、大きく出場時間を減らしていた。2010年1月6日、出場機会を求め、MF増田誓志と共にモンテディオ山形へ期限付き移籍。山形ではレギュラーとして活躍し、リーグでは自身最多の10得点を記録した。 2011年、鹿島に復帰。シーズン途中から同じく復帰した増田と共にレギュラーに定着。新外国人FWカルロンの不振なども手伝い、空中戦に強い田代をFWの軸としてターゲットマンにする戦術が採られた。しかし、出場機会は少なく、リーグ戦12得点をあげ2年連続で自己最多を更新するも退団が決定した。 2012年、ヴィッセル神戸へ完全移籍。開幕当初ターゲットマンとして期待されたが、足首の故障などで1ヶ月以上出遅れた。J1第7節の柏レイソル戦で移籍後初出場、初得点を記録した。その後も故障による離脱を重ねたが、出場した試合では高い決定力と抜群のキープ力を見せた。2013年は神戸の降格によりプロ入り後初のJ2でのプレーとなった。最初の13試合で6得点を挙げる活躍を見せたが、その後第14節から第42節までのゴールはわずか2にとどまり、終盤にはスタメン落ちも増え不完全燃焼のシーズンを送った。2014年シーズンはマルキーニョス、Wペドロ・ジュニオールが加入し、出場機会はさらに減少。2015年1月19日、本人の申し出により、契約満了が発表された[1]。 当初、海外移籍を理由に神戸を退団したが、2015年3月、セレッソ大阪へ移籍[2]。2016年限りで契約満了によりC大阪を退団。 2017年3月、ナショナル・プレミアリーグスNSW(オーストラリア2部相当)のウロンゴン・ウルブスFCへ移籍[3]。 2018年10月20日、自身のインスタグラムで現役を引退することを発表した[4]。 所属クラブ
個人成績
その他の公式戦
代表歴出場大会
試合数
出場
脚注
関連項目
外部リンク
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