田中雅夫田中 雅夫(たなか まさお、1912年6月11日 - 1987年11月7日[1])は日本の写真評論家。写真家の濱谷浩、濱谷了一は実弟。本人は「養子」に出たために、姓が「田中」となっている。 来歴東京出身[1]。東京高等工芸学校(現千葉大学工学部)卒。弟である濱谷浩の甥には、プロ歌手もいた[2]。雑誌「日本カメラ」の編集長も務め、日本写真全集(全12巻・小学館)の編集も行った。1937年には、濱谷浩とともに、「銀工房」という写真スタジオを開設した。また、瀧口修造らの、前衛写真協会にも参加した。田中の写真を撮る技法は、繊細で前衛的な手法だった。 1967年、日本リアリズム写真集団の副理事長に、伊藤逸平、藤本四八とともに選出。理事長は田村茂[3]。田中は、KPS(関東写真技術学校)の講師を秋山庄太郎、細江英公、植田正治らとともに務めた[4]。 主著
写真集/写真誌出典関連項目 |