田中筆子
田中 筆子(たなか ふでこ、1913年3月16日 - 1981年2月23日)は、日本の女優。夫は俳優の斉藤英雄。 来歴東京市深川区出身(小石川区の説あり)。文化学院女学部を卒業。 1924年第2次芸術座の『青い鳥』で初舞台を踏んだ。金平軍之助が主宰する近代劇場の参加を経て1930年、日活太秦撮影所に入り、翌年『ある父』で映画デビューした。入江ぷろだくしょんの映画に出演後、1934年に新興キネマに入社、脇役女優として活躍した。その後、菅井一郎らが結成した第一協団に参加し、のちに東宝の映画に出演。東宝争議後は独立プロや東映の映画に出演し、1955年頃から日活映画に出演。1964年にフリーとなった。主に老け役で活躍し、テレビドラマにも多く出演した。 1981年2月23日、心不全のため死去。67歳没。 親族夫は俳優の斎藤英雄で、1938年から1947年頃までに『望楼の決死隊』などの東宝映画に出演した。 出演作品映画太字の題名はキネマ旬報ベストテンにランクインした作品
テレビドラマ
外部リンク
|