生田目 修(なまため おさむ[1]、1924年(大正13年)8月24日 - 1999年(平成11年)6月20日)は、日本の陸軍軍人及び航空自衛官。第16代航空幕僚長。
略歴
陸軍航空士官学校卒業後は岐阜基地で実用機の訓練中に終戦を迎える[2]
。
戦後は郷里の茨城・日立に帰り農協に勤めるが、警察予備隊の旧軍出身者第一陣として1951年(昭和26年)6月に入隊[2]。入隊後は普通科連隊の中隊長等を務めるが、1954年(昭和29年)9月、航空自衛隊創設と同時に転官[2]。浜松でパイロットのリフレッシュ訓練を受けるが健康上の理由で要撃管制要員へ転換[2]。
1955年(昭和30年)に要撃管制の米国留学第1期生として米国で訓練を受ける[2]。その後の勤務は航空幕僚監部、航空総隊等で、作戦・運用と防衛一筋のエリートコースをたどり、3次防、4次防の策定、さらに空幕防衛部長として「防衛計画の大綱」の策定に携わった[3]。
空幕長就任後も日米共同訓練の推進やF-15部隊の新編などに取り組み、56中業の策定にも尽力した[4]。なお、要撃管制官出身としては初めての航空幕僚長であった。
年譜
栄典
- レジオン・オブ・メリット・コマンダー - 1981年(昭和56年)11月17日
- 勲二等瑞宝章 - 1994年(平成6年)11月3日
脚注
- ^ a b 死亡記事(1999年6月22日付 朝日新聞朝刊東京版31面)
- ^ a b c d e f 航空情報(1979年4月号「人物スポットライト」 ,p144-145)
- ^ 朝雲新聞(昭和56年2月26日)「この人と10分間」
- ^ 朝雲新聞(昭和58年4月14日)「海空トップ交代」
- ^ 『官報』号外第208号(平成6年11月4日)
- ^ 「94年秋の叙勲 勲三等以上および在外邦人、外国人の受章者」『読売新聞』1994年11月3日朝刊
- ^ 『官報』本紙第2670号(平成11年7月19日)
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- 上村健太郎:1954.7.1-1956.7.3
- 佐薙毅:1956.7.3-1959.7.18
- 源田実:1959.7.18-1962.4.7
- 松田武:1962.4.7-1964.4.17
- 浦茂:1964.4.17-1966.4.30
- 牟田弘國:1966.4.30-1967.11.14
- 大室孟:1967.11.15-1969.4.25
- 緒方景俊:1969.4.25-1971.7.1
- 上田泰弘:1971.7.1-1971.8.10
- 石川貫之:1971.8.10- 1973.7.1
- 白川元春:1973.7.1- 1974.6.30
- 角田義隆:1974.7.1- 1976.10.15
- 平野晃:1976.10.15- 1978.3.16
- 竹田五郎:1978.3.16- 1979.7.31
- 山田良市:1979.8.1- 1981.2.17
- 生田目修:1981.2.17- 1983.4.26
- 森繁弘:1983.4.26- 1986.2.5
- 大村平:1986.2.6- 1987.12.11
- 米川忠吉:1987.12.11- 1990.7.9
- 鈴木昭雄:1990.7.9- 1992.6.16
- 石塚勲:1992.6.16- 1994.7.1
- 杉山蕃:1994.7.1- 1996.3.24
- 村木鴻二:1996.3.25-1997.12.8
- 平岡裕治:1997.12.8-1999.7.9
- 竹河内捷次:1999.7.9-2001.3.26
- 遠竹郁夫:2001.3.27-2003.3.27
- 津曲義光:2003.3.27-2005.1.12
- 吉田正:2005.1.12-2007.3.28
- 田母神俊雄:2007.3.28-2008.10.31
- 外薗健一朗:2008.11.7-2010.12.24
- 岩崎茂:2010.12.24-2012.1.31
- 片岡晴彦:2012.1.31-2013.8.22
- 齊藤治和:2013.8.22-2015.12.1
- 杉山良行:2015.12.1-2017.12.20
- 丸茂吉成:2017.12.20-2020.8.24
- 井筒俊司:2020.8.25-2023.3.29
- 内倉浩昭:2023.3.30-
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