玉蔵院 (さいたま市)

玉蔵院
所在地 埼玉県さいたま市浦和区仲町2丁目13-22
位置 北緯35度51分32.3秒 東経139度39分07.4秒 / 北緯35.858972度 東経139.652056度 / 35.858972; 139.652056座標: 北緯35度51分32.3秒 東経139度39分07.4秒 / 北緯35.858972度 東経139.652056度 / 35.858972; 139.652056
山号 宝珠山[1]
宗派 真言宗豊山派
本尊 大日如来[1]
創建年 平安時代
中興年 戦国時代
中興 印融[1]
正式名 寶珠山延命寺玉藏院
別称 (山号)宝珠山[1]
札所等 北足立八十八箇所霊場55番、88番
文化財 木造地蔵菩薩立像1軀、絹本着色両界曼荼羅2幅、玉蔵院文書328通(以上埼玉県指定有形文化財)、玉蔵院地蔵堂、玉蔵院山門、酒井忠世書状1幅、玉蔵院寺領寄進状及び朱印状12通、守護侍不入石杭1基(以上さいたま市指定有形文化財)
法人番号 5030005000038 ウィキデータを編集
玉蔵院の位置(埼玉県内)
玉蔵院
玉蔵院
玉蔵院 (埼玉県)
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玉蔵院正面
玉蔵院のしだれ桜

玉蔵院(ぎょくぞういん)は、埼玉県さいたま市浦和区にある真言宗豊山派寺院。山号は宝珠山。本尊大日如来座像。北足立八十八箇所霊場55番、88番札所[2]。本堂横には樹齢100年以上のしだれ桜があり、桜の名所として有名である。

歴史

伝承によれば平安時代初期に空海により創建されたという。戦国時代醍醐寺三宝院の直末寺となった。また、学僧印融が来て中興した。1591年徳川家康が10石の寺領を寄進。江戸時代長谷寺の移転寺として出世。1699年12月伽藍を焼失。本堂は1701年に再建され、以後徐々に復興。1710年、本尊の大日如来坐像が完成。昭和20年代に墓地の区画整理が行われ、墓地は市内原山緑区)に移転した。[3][2]江戸時代に浦和宿が興る以前の浦和は玉蔵院や調神社門前町として栄えていた。戦後に境内を整備した浦和中央公園が隣接している。

文化財

埼玉県指定有形文化財

  • 木造地蔵菩薩立像 1軀
  • 絹本着色両界曼荼羅 2幅
  • 玉蔵院文書 328通

さいたま市指定有形文化財

  • 玉蔵院地蔵堂
  • 玉蔵院山門
  • 酒井忠世書状 1幅
  • 玉蔵院寺領寄進状及び朱印状 12通
  • 守護侍不入石杭 1基

行事

8月23日施餓鬼が行われる。玉蔵院の施餓鬼は関東三大施餓鬼の一つである。この起源は1800年頃と言われる[2]

アクセス

周辺施設・道路

玉蔵院通り

脚注

  1. ^ a b c d 新編武蔵風土記稿 浦和宿.
  2. ^ a b c さいたま探訪コース-玉蔵院 - さいたま商工会議所
  3. ^ 玉蔵院 - 公益社団法人さいたま観光国際協会
  4. ^ さいたま市都市局都市計画部都市総務課「さいたま景観ストーリーVol.10 玉蔵院」『さいたま市 korekara 第30号』、さいたま市、2019年10月、11頁。 

参考文献

  • 青木義脩 著、浦和郷土文化会・編 編『玉蔵院』(改訂版)さきたま出版会〈浦和歴史文化叢書; 3〉、2002年。ISBN 4878913630NCID BA59337009OCLC 675486608 

関連項目