玉田玉秀斎玉田 玉秀斎(たまだ ぎょくしゅうさい)は、講談の名跡。玉田永教の神道講釈の流れをくむ玉田派の名跡。当代は四代目。 三代目三代目玉田 玉秀斎(1856年- 1919年)は初代玉田玉秀斎の門弟。本名は加藤 万次郎。速記講談時代のペンネームは「雪花山人」、「野花散人」など。号は「玉麟」[4]。長らく「二代目」とされていたが、2016年に旭堂南陽が玉田玉秀斎(現・四代目)を襲名する際の調査で、初代のあとに「幻の二代目」が存在することが明らかになった為、三代目に変更された[1][2]。 京都の神職の家に生まれ、幼少から講談に親しみ、大阪で錫職人を経て講談に入った。1896年に巡業中の今治で人妻の山田敬と駆け落ちし大阪に戻る。敬は廻船問屋「日吉屋」の内儀で玉田の一歳上、夫と5人の子を残しての出奔だった[5]。敬の長女・寧は母親の駆け落ちを理由に嫁ぎ先から離縁された[5]。玉田は速記者の山田都一郎と組んで速記講談に転じ[5]、3代目玉田玉秀斎を襲名。山田都一郎と寧を結婚させたが、2年ほどで離婚したため、それを契機に速記講談から書き講談に転じ、敬の子供たち(長女、長男、三男、四男)も加わって一派を作って活動し、1911年には一派で立川文庫の企画・執筆を行なった。寧の娘の池田蘭子(1893年-1976年)も立川文庫で執筆や小説を書いた[6][7]。蘭子はその後パーマ技術を学んで大阪で美容院を開業して成功し、自伝小説『女紋』を上梓、菊田一夫の脚本で舞台化もされた。 四代目四代目玉田 玉秀斎(1976年11月30日 - )はスウェーデン語を話せる講談師である。前名旭堂 南陽(きょくどう なんよう)、本名非公開。
来歴大阪市平野区に生まれる。大阪府立長野高等学校から大阪市立大学法学部卒。 高校時代にロータリー青少年交換留学生としてスウェーデンに1年留学。 赤十字語学奉仕団などのボランティア活動を行っていた。 アメリカ・ボストンでの英語講談・修羅場読みの模様はNHK WORLD「what's on Japan」で全世界に放送された。 英語の他、ブラジル・パラナ州でポルトガル語講談の経験がある。 2016年11月、四代目玉田玉秀斎を襲名[8]。 2021年、大阪講談協会を退会し、フリーとなる。 2022年より三重大学大学院人文社会科学研究科修士課程で忍者・忍術学コースを2024年3月修了。 2024年4月より和歌山大学大学院観光学研究家後期博士課程で忍者・漫遊記について研究中。 人物2021年8月9日 岡山市、シティライトスタジアムで開催された明治安田生命J2リーグ2021第24節、ファジアーノ岡山‐レノファ山口戦のイベントの一環でファジアーノ岡山の歴史を講談で披露したのをきっかけに、ファジアーノ岡山を応援するようになる。 自身のtwitterでもファジアーノ岡山について発信するほか、一サポーターとしてプライベートでも観戦に行っているようである。 出演弟子
注釈
脚注
外部リンク
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