猪俣浩三
猪俣 浩三(いのまた こうぞう、1894年7月20日 - 1993年8月21日)は、日本の弁護士、政治家。アムネスティ・インターナショナル日本支部初代支部長。 略歴新潟県出身。日本大学法学部卒。1927年弁護士を開業。戦後、日本社会党の結成に参加。1947年に第23回衆議院議員総選挙に新潟4区から出馬して初当選、その後は連続7回当選。1963年の第30回衆議院議員総選挙で落選したが、1967年の第31回衆議院議員総選挙にて返り咲きを果たして1期を務めた。通算当選8回。 日本社会党の衆議院議員として人権侵害、汚職問題で政府を追及した。鈴木茂三郎(左派日本社会党委員長)が起こした警察予備隊違憲訴訟では原告代理人を務めている[1]。また、議員在職中の1954年の第21回国会では衆議院内閣委員会委員長を務めた[2]。 1970年アムネスティ・インターナショナル日本支部を設立し理事長となる。 1993年8月21日、神奈川県藤沢市にて死去[3]。99歳没。神奈川県川崎市の春秋苑に墓所が在る[3]。 著書
関連項目脚注
外部リンク
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