塚田徹塚田 徹(つかだ とおる[1]、1934年(昭和9年)8月12日[1][2] - )は、昭和期の政治家。元衆議院議員(3期)。塚田政治経済研究所長[1]。
来歴新潟県出身[2][3]。1957年、日本大学法学部政治経済科卒業[2][3]。日産自動車販売勤務を経て光陽商事社長となり[1][2][3]、1963年、父の知事転任に伴い衆議院議員総選挙に旧新潟4区から無所属で立候補して、29歳で初当選[4]、以来通算3期。のち自由民主党に入党。 衆院内閣常任委員会理事、日本ユネスコ国内委員、自民党政調内閣部会副部会長等を歴任する[2]。福田赳夫内閣で建設政務次官を務めた[3]。同じ選挙区から白川勝彦が当選してから塚田は落選続きとなり、以後立候補しなかった。 家族・親族
脚注参考文献
関連項目 |