艦名
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艦種
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損傷場所
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戦死者
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負傷者
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備考
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コロラド |
戦艦 |
フィリピン |
19 |
72 |
陸軍特別攻撃隊八紘隊の一式戦「隼」が命中。艦体に10フィートの穴があき多数の死傷者を出した[28]。
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メリーランド |
戦艦 |
フィリピン.沖縄(合計2回) |
62 |
68 |
フィリピンでは陸軍特別攻撃隊靖国隊の一式戦「隼」が命中。その隼は雲の中から現れて急降下でメリーランドに命中する直前に、機首を上げて急上昇をはじめ、尾翼を真下に垂直上昇してまた雲に入ると、1秒後には太陽を背にしてまっさかさまの急降下でメリーランドの第2砲塔に突入するといった曲芸飛行を見せてアメリカ軍を驚かせている。受けた損害も深刻で病室が破壊され衛生兵は戦死、歯科軍医も顔面に大火傷を負っている[29]。
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ニューメキシコ |
戦艦 |
フィリピン・沖縄(合計2回) |
84 |
206 |
フィリピンでは艦橋に特攻機が命中、イギリス陸軍のラムズデン中将とニューメキシコの艦長のフレミング大佐が戦死し、タイム誌の従軍記者も死亡した。沖縄戦では第5艦隊の臨時旗艦としてレイモンド・スプルーアンス中将が座乗したが再度特攻を受け、煙突に爆弾が突入し炸裂、ボイラー室が破壊され[30]、戦死54名、負傷者119名の大損害を被った。スプルーアンスは艦内を移動中に、物陰に隠れて難を逃れたが、一時は行方不明になり、幕僚らが混乱状態に陥っている[31]。
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カリフォルニア |
戦艦 |
フィリピン |
45 |
151 |
1945年1月6日、リンガエン湾でルソン島上陸部隊の支援艦隊に特攻機が襲いかかり、カリフォルニアには特攻機が檣楼に命中し多大な人的損害が生じた[32]。この日は戦艦ニューメキシコや重巡洋艦ルイビル・オーストラリア、軽巡洋艦コロンビアなどに12機の特攻機が命中、7機が至近命中し支援艦隊に大きな損害を与えている[33]。
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ミシシッピ |
戦艦 |
フィリピン・沖縄(合計2回) |
27 |
71 |
フィリピンでは陸軍特別攻撃隊一誠隊の一式戦「隼」が、沖縄では陸軍飛行第17戦隊の三式戦「飛燕」が命中。
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ネバダ |
戦艦 |
沖縄 |
11 |
47 |
陸軍特別攻撃隊誠第32飛行隊または赤心隊の九九式襲撃機または九九式軍偵察機が命中。
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ウェストバージニア |
戦艦 |
沖縄 |
4 |
23 |
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ミズーリ |
戦艦 |
沖縄(合計2回) |
0 |
3 |
1945年4月11日に石野節雄二飛曹の搭乗する零戦が突入、石野の遺体の一部が艦上に残された。ミズーリの艦長であるウィリアム・キャラハン大佐(第三次ソロモン海戦で戦死したダニエル・J・キャラハン少将の弟)は「祖国のために命を投げうってその使命を敢行した勇敢な男には、名誉ある水葬をもって臨むべきである。死した兵士はもはや敵ではない。翌朝、勇者の葬儀を執り行う」と石野を称賛し、異例とも言える敵兵の水葬を行った。その際わざわざミズーリの水兵が手作りで作った旭日旗で石野の遺体を覆って、礼砲まで撃っている。[34][35]
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テネシー |
戦艦 |
沖縄 |
23 |
176 |
沖縄戦では第54任務部隊司令のデヨ少将が座乗していた。1945年4月12日に2機の特攻機が命中し、死傷者199名の甚大な損傷を受けている。デヨ少将も艦橋目がけて突入してきた特攻機が直前で撃墜されて、九死に一生を得ている。その際、集中射撃しても中々撃墜できなかった特攻機を見て「彼奴らの体は何でできているのだろうか。」と驚嘆している[36]。
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アイダホ |
戦艦 |
沖縄(合計2回) |
0 |
13 |
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ニューヨーク |
戦艦 |
沖縄 |
0 |
2 |
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イントレピッド |
正規空母 |
フィリピン.室戸沖・沖縄(合計4回) |
97 |
236 |
アメリカ軍の艦艇では最多の特攻被害艦となった。イントレピッドはあまりにも修理のためにドック入りしている期間が長かったため、ドライアイを捩って“the Dry I”(ドライは乾ドックの事で IはIntrepidの頭文字)との不名誉なニックネームを付けられている[37]。
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フランクリン |
正規空母 |
フィリピン(合計2回) |
724 |
265 |
フランクリンは1944年1月31日に艦隊配備、1944年10月29日に特攻により大破、修理を終えて1945年3月15日に第58任務部隊に復帰したが、1945年3月19日に九州沖航空戦で陸上爆撃機「銀河」による緩降下爆撃により、艦載機と積載弾薬・燃料が誘爆し724名死亡265名負傷の甚大な損害を被った。その後は一度も運用されることなく除籍されたので、実動9ヶ月で艦生命が終わる事となった。[38]
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レキシントン |
正規空母 |
フィリピン |
50 |
132 |
第38任務部隊の旗艦でジョン・S・マケイン・シニア中将が乗艦していたが、1944年11月5日、艦橋に零式艦上戦闘機が1機命中、艦橋を損傷し多数の死傷者を出した[39]。マケインは空母ワスプに旗艦を移したが、ワスプもその後の九州沖航空戦において特攻で大破した[40]。
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エセックス |
正規空母 |
フィリピン |
15 |
44 |
1944年11月25日、神風特別攻撃隊第3香取隊の彗星艦爆が命中した。突入直前にエセックス乗組員が撮影した写真に写っていた尾翼の機体番号17により、突入したのは山口義則一飛曹(操縦)酒樹正一飛曹(偵察)の乗機と判明[41]。
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ハンコック |
正規空母 |
フィリピン.沖縄(合計2回) |
62 |
73 |
1945年4月7日、沖縄戦では特攻機と搭載爆弾がハンコックの飛行甲板上から爆発、特攻機の搭載燃料による火災で飛行甲板上の出撃準備中の艦載機16機が炎上、4月9日に戦線離脱したハンコックは、1945年6月末に作戦再開した[42]。
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タイコンデロガ |
正規空母 |
台湾沖 |
143 |
202 |
1945年1月21日、艦長のディクシー・キーファー大佐も65か所の傷を負い、腕を複雑骨折する重傷を負いながらも、タイコンデロガの被害の拡大を食い止めるために陣頭指揮を続けた。火災が広まらない様にタイコンデロガの傾斜を恐れず大量に注水を行い、誘爆を防ぐために艦載機を海に投棄し、火災がタイコンデロガに致命的な損傷を与える前に鎮火に成功している。損傷が甚大だったのでタイコンデロガが艦隊に復帰できたのは、沖縄戦の終戦間際の1945年5月となり沖縄戦にはほぼ参加できなかった。タイコンデロガの艦長のキーファー大佐のケガは終戦まで完治せず、1945年11月に軍用機墜落で事故死したがその際も未だ腕を吊ったままだった[43]。
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サラトガ |
正規空母 |
硫黄島 |
123 |
192 |
1945年2月21日に海軍第二御楯特別攻撃隊より硫黄島沖にて集中攻撃を受けた。4機の特攻機の体当たりと、撃墜された特攻機の爆弾がサラトガの喫水線と舷側に跳弾して命中、最後に特攻機が投下した800kg爆弾が命中し、合わせて2発の爆弾が命中した。搭載されていた艦載機が次々と誘爆すると共に、艦内の航空燃料にも引火して大破炎上したが辛うじて沈没は逃れた。5月22日に修理は完了し、6月3日に真珠湾へ戻り、再び航空隊の訓練に従事したが、戦後にクロスロード作戦の原爆実験艦となった。
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ランドルフ |
正規空母 |
ウルシー |
34 |
125 |
1945年3月11日、アメリカ軍の前線基地の西カロリン諸島ウルシー環礁へ鹿児島鹿屋基地から神風特攻梓特攻隊の陸上爆撃機「銀河」が長躯突入した。内1機がランドルフに特攻したが、特攻時ランドルフでは格納庫で映画上映中であり、停泊中にもかかわらず多数の死傷者を出した。ウルシーは修理や補給施設の他に、慰安施設やグラウンドや海水浴場まであって兵士が休養できたが、以後は警報が頻繁に発令される様になって兵士も十分に休養が取れなくなった。ランドルフはウルシー泊地で修理され、1945年4月7日その後沖縄戦にも参加し特攻で大破したバンカーヒル、エンタープライズに代り第58任務部隊の旗艦となった。[44]
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ワスプ |
正規空母 |
室戸沖 |
101 |
269 |
1945年3月、特攻機彗星が突入し、ワスプの格納庫下の居住区で爆発、爆発の衝撃で艦載機の航空燃料が下層甲板に流れ出し、火災が拡大し大損害を被った。1945年4月13日、本土に修理のために回航され復帰は終戦間際の1945年7月にずれこんだ。[45][46][47][48](同艦への命中弾は急降下爆撃によるものという資料もあり。)
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エンタープライズ |
正規空母 |
沖縄(合計2回) |
18 |
86 |
1945年5月14日に富安俊助中尉搭乗の零戦がほぼ垂直に前部エレベーターに突入、そのまま5層の甲板を貫通して爆弾は艦の奥深くで爆発した。爆弾が爆発した場所に弾薬や燃料がなく誘爆はしなかったが、破孔ができ大量に浸水し船首が一時3m沈下した。[49] その後、海軍工廠で修理とオーバーホール中に終戦を迎えた。「ビッグE」という称号で呼ばれたり、日本側より6回も沈没と報じられたため「オアフ島の岸壁を走る幽霊」というあだ名が付いたエンタープライズを戦線離脱させ、[50] 米海軍関係者から、エンタープライズに特攻した富安中尉に対して「これまで日本海軍が3年かかってもできなかったことを、たった一人で一瞬の間にやってのけた。」と称賛の言葉が送られている。[51] エンタープライズはその後、復員船として運用された後に解体された。
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バンカーヒル |
正規空母 |
沖縄 |
402 |
264 |
1945年5月11日に小川清少尉と安則盛三中尉搭乗の零戦2機が、搭載していた500kg爆弾を投下後に突入。甲板上の艦載機が次々と誘爆し、船体に深刻な損傷を受けて戦線離脱を余儀なくされた。バンカー・ヒルはピュージェット・サウンド海軍工廠で修理を受けた艦船の中では最悪の損傷レベルであり[52]、修理後に復員船として運用された後は退役された。他のエセックス級空母が近代化改装を受け後年まで活躍する中、同型艦のフランクリンと共に近代化改装されることもなく、電子実験のプラットフォームなどに利用された後に解体された。[53]
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インディファティガブル |
イギリス軍正規空母 |
沖縄 |
27 |
21 |
インディファティガブルも含めた沖縄戦従軍のイギリス海軍正規空母は、全艦特攻攻撃で損傷しているが、イギリス海軍の空母は飛行甲板が戦艦並みの3インチ(76.2mm)の装甲板でできており、特攻機を弾き返し致命的な損傷を被らず、応急修理後作戦を再開した[54] しかし、通信装置・レーダーを全て破壊されて本国帰還を余儀なくされ、復帰は終戦間際の1945年7月にずれこんだ。[55]
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イラストリアス |
イギリス軍正規空母 |
沖縄 |
0 |
0 |
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フォーミダブル |
イギリス軍正規空母 |
沖縄(合計2回) |
9 |
59 |
飛行甲板のほぼ中央に零戦が命中、飛行甲板上の艦載機11機が炎上し大火災となり、機械室の重要なパイプが切断され一時航行不能となったが、[56] フォーミダブルの飛行甲板自体は大きな凹みと破孔ができ甲板を接合するリベットがあちこちで脱落していただけで、応急処置によりその日の内に航空機の発着が可能にまで回復した。しかし戦後に詳細な調査をした結果、1941年5月26日にドイツ軍の急降下爆撃によるものと特攻による船体全体の損傷の蓄積が想像以上に大きく、根本的な修理には莫大な費用がかかるものと判定され1947年に除籍された[57]。
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インドミタブル |
イギリス軍正規空母 |
沖縄 |
0 |
0 |
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ヴィクトリアス |
イギリス軍正規空母 |
沖縄 |
4 |
24 |
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ベローウッド |
軽空母 |
フィリピン |
92 |
54 |
攻撃発進途中で戦闘機8機が緊急発進した直後に特攻機が艦攻が並んでいる飛行甲板上に命中、ベローウッドの飛行甲板上の艦攻と爆弾が次々と誘爆し、残存の艦攻と艦爆26機全部が全損するなど甚大な損害を受けた。ベローウッドはその後修理を受けて九州沖航空戦に参加、特攻時は離艦済みで難を逃れていたベローウッドの戦闘機部隊が、野中五郎大佐率いる第一回桜花神雷部隊を迎撃し、桜花部隊全滅に大きく貢献している[58]。
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カボット |
軽空母 |
フィリピン |
36 |
16 |
艦首に命中、飛行甲板を貫通しカタパルト室を破壊した。艦側面にも大破孔が空き、その大破孔は本艦隣を航行中の護衛艦のアイオワ級戦艦が丸々見えるほどの大きさとなった[59]。
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ラングレー |
軽空母 |
台湾沖 |
0 |
0 |
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サン・ジャシント |
軽空母 |
沖縄 |
1 |
5 |
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バターン |
軽空母 |
沖縄 |
9 |
50 |
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スワニー |
護衛空母 |
フィリピン(合計2回) |
107 |
160 |
植村眞久大尉率いる神風特攻大和隊の零戦1機が、スワニーの雷撃機着艦作業中を狙って高度1,000mから急降下して前部エレベーターに突入、零戦は飛行甲板を貫通し格納庫で爆発した。スワニーは沈没こそ逃れたが、アメリカ軍の被害状況報告書には「本艦設計の際に考慮されていなかった程の甚大な損傷である」と記述されている。[60]
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サンティー |
護衛空母 |
フィリピン |
16 |
27 |
機銃を撃ちながら前部飛行甲板に零戦が突入し、飛行甲板上に42㎡の大穴を開けた。殆ど同時に伊号第五十六潜水艦から発射された魚雷が命中したが沈没は免れた[61]。
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キトカン・ベイ |
護衛空母 |
フィリピン(合計2回) |
18 |
56 |
1回目は神風特別攻撃隊敷島隊の零戦が命中したが爆弾が船体を貫通して海上に落下、2回目は陸軍特別攻撃隊精華隊の四式戦「疾風」が命中、爆弾は不発であったが大破。
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ホワイト・プレインズ |
護衛空母 |
フィリピン |
1 |
20 |
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カリニン・ベイ |
護衛空母 |
フィリピン |
5 |
55 |
サマール沖海戦で戦艦の14インチもしくは16インチ砲を含む、戦艦、重巡洋艦の砲撃を約20発被弾後に、神風特別攻撃隊敷島隊の特攻機1機命中、1機至近命中されたが沈没しなかった。甚大な損傷に関わらず、特攻で撃沈されたセント・ローの生存者の救助にあたっている[62]。
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マーカス・アイランド |
護衛空母 |
フィリピン |
1 |
1 |
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マニラ・ベイ |
護衛空母 |
フィリピン |
22 |
56 |
艦橋構造部基部に命中した零戦が甲板を貫通し無線室で爆発、艦載機にも引火して一時は大火災となったが、艦長が昨日特攻による火災で沈没したオマニー・ベイの事例をよく調べ対策を講じており、火災を速やかに消火し、24時間後には航空機の発着が可能になるまで復旧させた[63]。命中した特攻機は本艦水兵が保管していた遺品により 半世紀ぶりに第十八金剛隊丸山隆中尉機と判明した[64]。
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サボ・アイランド |
護衛空母 |
フィリピン |
0 |
0 |
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カダシャン・ベイ |
護衛空母 |
フィリピン |
29 |
22 |
陸軍特別攻撃隊の特攻機が命中、大破。
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サラマウア |
護衛空母 |
フィリピン |
15 |
88 |
陸軍特別攻撃隊精華隊の四式戦「疾風」のうち1機が命中、機体と爆弾は次々と甲板を貫通し最下甲板まで達し、搭載爆弾は機関室(英語版)で爆発。そのため、サラマウアは操舵、航行不能となり、発生した火災で格納庫も炎上し、甚大な損傷を被ったが沈没は逃れた[65]。
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ルンガ・ポイント |
護衛空母 |
硫黄島 |
0 |
11 |
|
ウェーク・アイランド |
護衛空母 |
沖縄 |
0 |
0 |
|
ナトマ・ベイ |
護衛空母 |
沖縄 |
1 |
4 |
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カーティス |
水上機母艦 |
沖縄 |
41 |
28 |
書籍によっては宇垣纏中将の玉音放送後の特攻の戦果[66] と記述されている事があるが、カーティスが大破したのは1945年6月21日であり、8月15日に出撃した宇垣隊の戦果ではあり得ない。カーティスを大破させたのは同日出撃した陸軍特攻第26振武隊の四式戦「疾風」と思われる[67]。カーティスは真珠湾攻撃の時も蒼龍所属の九九式艦上爆撃機の体当たりを受けている[68]。
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セント・ジョージ |
水上機母艦 |
沖縄 |
3 |
30 |
|
ケネス・ホィッティング |
水上機母艦 |
沖縄 |
0 |
5 |
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ルイビル |
重巡洋艦 |
フィリピン・沖縄(合計3回) |
45 |
152 |
フィリピン戦では第7艦隊・第77.2任務部隊旗艦であったが、特攻攻撃により司令のセオドア・チャンドラー少将が戦死した。また命中したのは神風特攻旭日隊吹野匡中尉と三好精策少尉搭乗の彗星であったことが、ルイビルの元乗組員が持ち帰った破片から判明した[69]。アメリカ本国での修理完了後、1945年5月28日に第3艦隊の幕僚を乗せて沖縄に到着し艦隊に復帰していたが、6月5日に再度特攻機が命中、ボフォース 40mm機関砲の機関砲座と水上機用カタパルトと煙突が破壊され、9名が戦死37名が負傷した。ルイビルは再び修理のために本国に後退し、終戦時も修理中であった[70]。
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ミネアポリス |
重巡洋艦 |
フィリピン |
0 |
2 |
|
インディアナポリス |
重巡洋艦 |
沖縄 |
9 |
20 |
陸軍特別攻撃隊誠第39飛行隊の一式戦「隼」が命中し大破航行不能、アメリカ本土での修理後に原爆輸送の特殊任務に従事したものの、任務後に回天作戦中の伊58により撃沈された(通常魚雷の雷撃による)。
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サセックス |
イギリス軍重巡洋艦 |
プーケット |
0 |
0 |
独立第107教育飛行団第3教育飛行隊の練習機九七式戦闘機3機(イギリス軍はソニアこと九九式襲撃機と誤認)で編成された陸軍特別攻撃隊七生昭道隊が攻撃[71]。対空砲火で撃墜された1機の破片が側面鋼板に衝突して飛行機型の傷を残したが、死傷者は出なかった[72]。他の1機は掃海艦ヴェステルに命中しこれを撃沈、残る1機は護衛空母アミールへの至近弾となった[73]。
|
オーストラリア |
オーストラリア軍重巡洋艦 |
フィリピン(合計5回) |
87 |
120 |
軽微な損傷を含めると5回(6回という説もあり)の最多の特攻被害艦、一回目は神風特攻隊「ゼロ号」の男こと久納好孚中尉機とも言われている[74]。1回目の命中の際には エミール・デシャニュー(英語版)艦長とジョン・レイメント副官が戦死している。修理のためにオーストラリア本国に帰還したが、オーストラリアの造船所はイギリス海軍艦艇の修理を優先的に行うこととなっていたので、イギリス本土の造船所に本格的な修理と改装のために回航されて、終戦まで復帰できなかった[75][76]。
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デンバー |
軽巡洋艦 |
フィリピン |
0 |
4 |
|
モントピリア |
軽巡洋艦 |
フィリピン |
0 |
11 |
特攻機2機がMk 12 5インチ砲と56口径40mm機銃に命中したが、いずれも爆弾を搭載しておらず、火器を破壊しただけで、深刻な損傷は被らなかった。また爆弾を搭載した2機も突っ込んできたが、1機は空中で爆発、もう1機は附近海面に墜落し、特攻機と爆弾と特攻隊員の遺体を艦上に散乱させただけで終わった[77]
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ナッシュビル |
軽巡洋艦 |
フィリピン |
133 |
190 |
特攻攻撃された2か月前まではマッカーサーが旗艦として座乗していた。その後、第78任務部隊司令アーサー・D・ストラーブル少将の旗艦となったが、12月13日に神風特別攻撃隊第二金剛隊の零戦3機および陸軍特別攻撃隊一宇隊の一式戦「隼」1機の攻撃を受け、このうち1機がナッシュビルの後方から突入し、特攻機の航空燃料で大火災が生じた。ストラーブル少将は無事であったが、ナッシュビル艦長、第78任務部隊参謀長、ミンドロ島上陸部隊参謀長、爆撃部隊司令官が戦死している。[78]
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セントルイス |
軽巡洋艦 |
フィリピン |
16 |
43 |
陸軍特別攻撃隊八紘隊の一式戦「隼」が命中
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コロンビア |
軽巡洋艦 |
フィリピン |
37 |
113 |
陸軍特別攻撃隊の九九襲または九九軍偵が命中。搭載していた爆弾の爆発による閃光火傷で100名以上が重傷を負った。この後、閃光火傷対策で、アメリカ海軍艦艇の対空砲手の水兵は、肘まで覆う防火手袋をはめ、顔にはグリースを塗って布でカバーするなどの火傷対策をとることとなった[79]。
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ビロクシ |
軽巡洋艦 |
沖縄 |
0 |
2 |
命中した特攻機の500kg爆弾が不発で損傷は軽微だった。
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バーミングハム |
軽巡洋艦 |
沖縄 |
51 |
81 |
レイテ沖海戦で軽空母プリンストンの爆発に巻き込まれて大破した復帰直後の損害、特攻機は第2砲塔に突入、爆弾は下甲板まで3層の甲板を貫通し炸裂、前部弾薬庫が浸水した[30]。
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合計 |
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2,621名 |
4,041名 |
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