熱海銀座商店街熱海銀座商店街(あたみぎんざしょうてんがい)は、熱海市市街地の商店街。 江戸時代の熱海温泉の中心地である大湯周辺と海岸部をつなぐ位置にある「熱海銀座(銀座通り)」の商店街である。 場所柄、先祖が来宮神社の御神体を海中から拾ったとされる小沢ひもの店や、先祖が義民・釜鳴屋平七である釜鶴ひもの店など、熱海の漁民の歴史と関わっている老舗のひもの店を擁し、また、来宮神社の例大祭である「こがし祭」の「御神幸行列」や、湯前神社の秋季例大祭における「湯汲み道中」などの通り道ともなっている[1][2]。特に「御神幸行列」では、小沢ひもの店前で鹿島踊りも披露される[3]。 また下述するように、2013年11月から、熱海銀座商店街を歩行者天国にして地域の雑貨や食品の出店を並べる「海辺のあたみマルシェ」も、不定期で開催されている。 熱海銀座について現在「熱海銀座」「銀座通り」と呼ばれている一帯は、かつて「本通町」「本町通り」と呼ばれていた温泉場の中心的な通りの海側(下町)に相当する部分であり、江戸時代までの熱海温泉の中心的な源泉であった「大湯間歇泉」やその付近に形成されていた温泉宿群(湯戸)がある商業的中心地だった「上町・本町」からやや下った、庶民・漁民が暮らしていた場所だった[4][5]。 明治に入ると、江戸時代までの「湯戸」の支配体制が崩れ、自由な商業経済活動が行われる中で、商業開発のしやすさや立地条件の良さから、熱海の商業的中心地へと浮上することになった。 「銀座」の名は、関東大震災復興時に東京の銀座から正式に継承したものであり、戸越銀座に次いで日本で2番目、東京外では初めて「銀座」の名を継承した[6]。かつては譲り受けた数寄屋橋の柳があったが、1950年(昭和25年)の「熱海大火」の際に焼失してしまった[6]。 長らく観光客のための商業的中心地だったが、1960年代に入ると熱海駅周辺の開発も進み、他の市街地の開発も進んだため、徐々に存在感は薄れていき、象徴的な意味合いが強くなっていった。 1990年代以降、町の衰退と道を同じくし、2000年代には一時シャッター街と化すが、2010年代以降は、株式会社machimori等の地域おこし事業の効果や[7]、株式会社TTCによる人気店の出店、熱海自体の観光地としての人気復活などもあり、活気を取り戻している。 店舗名産品
飲食店
酒場
服飾・宝飾
宿泊
銀行その他
周辺北西(大湯方面)北西方面に銀座通りを上がっていくと、熱海駅方面と市役所方面をつないでいる「熱海駅前通り(咲見町一番街)〜市役所前通り(本町商店街)」の道と、交差する交差点に出る。交差点周辺には、老舗の和菓子店である
や、老舗ラーメン店である
などがあり、熱海駅方面に少し進むと、 がある。 そこから、さらに北西方面に進んだ江戸時代の「本町」エリアには、
等が向かい合っている。
そこから、さらに進むと、熱海七湯の1つである「小沢の湯」や市役所裏の「御殿稲荷神社」を経由しつつ「マックスバリュ 熱海店」の裏に出る「温泉通り」と、交差する交差点に出る。 そこから、さらに北西方面に進んだ江戸時代の「上町」エリアには、 などがある。 その少し上の旧・日航亭大湯の手前の道を南西へと進むと、来宮神社へと上がっていく「宮坂」の道へと合流する。 北東(サンビーチ方面)北東には、裏通りや国道135号(上り)に面する形で、
などがあり、その北東には「熱海サンビーチ」がある。 南西(浜町通り方面)南西には、銀座通りと糸川の間に「浜町(はまちょう)通り」があり、両者の通りをつなぐ(全4本中の)3本の脇道(路地)も含め、様々な飲食店が軒を連ねており、銀座通りと一体的な商圏を形成している。
南東(渚町方面)国道135号(上り)との交差点の周辺には、
などがある。 さらに南東に進むと「なぎさ中通り」との交差点があり、さらに南東に進むと、海沿いの国道135号(下り)と「親水公園」の第1工区(スカイデッキ)へと至る。 海辺のあたみマルシェ2013年11月より、地域活性化を目的として、商店街を歩行者天国にして地域の雑貨や食品の出店を出させる「海辺のあたみマルシェ」も不定期で開催されており、商店街の活性化に一定の貢献を果たしていると評価されている[9]。(※は親水公園開催) 2013年
2014年
2015年
2016年
2017年
2018年
2019年
2020年
脚注
関連項目外部リンク
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