潤ますみ
潤 ますみ(じゅん ますみ、1952年8月2日 - )は日本の女優、歌手。本名・佐藤まり子[1]。東京都墨田区押上出身[1]。 身長162cm。B84cm、W57cm、H83cm(1973年12月)[2]。 経歴施設で生まれ、3歳の時、養父となる父親が東京都庁に勤める子供のいない家庭に貰われる[2]。養父は可愛がってくれたが、養母と上手くいかず、家出を繰り返す[2]。東京家政学院中学校~東京家政学院高校に進み、高校2年時に中退[2]。銀座の喫茶店のウェイトレスをしながら、モデル事務所に所属[2]。自身「『ムゲン』『ビブロス』、モデル仲間と連れ立って遊び歩いた。酒、クスリ、ボンド、ラリって遊んだモデル時代」などと話している[2]。荒木一郎は「潤ますみは前の女房(榊ひろみ)の友達で、オッパイがでかくて、かわいい子がいるって言うから見て俺の事務所(現代企画)に拾ってきた。で日活に入れた」などと話しているが[3]、この荒木の事務所が潤の言うモデルクラブなのかは分からない。 荒木が東映ポルノに関わっていたから東映で女優デビューしたものと見られ、潤まり子の芸名で、1971年『女番長ブルース 牝蜂の逆襲』で映画デビューした後、続いて『ポルノの帝王』(1971年)、『女番長ブルース 牝蜂の挑戦』(1972年)、『現代やくざ 人斬り与太』(1972年)、『温泉スッポン芸者』(1972年)と5本の東映作品に出演。潤本人は「東映で6本出た」と話している[2]。1972年日活に移り[2]、日活ロマンポルノ『(秘)弁天御開帳』で主役を務めた[1]。以降、日活ロマンポルノ初期を彩るアイドル女優として人気を得た[1][4]。1973年潤ますみに改名[1]。1974年にテレビドラマ『傷だらけの天使』(日本テレビ)の第4話に美人局役で出演し、冒頭にチラッと出た後、中盤でチンドン屋の恰好で萩原健一と廃船の中でセックスシーンを演じている[1]。1975年フリーとなり[1]、古巣東映や松竹作品に出演後、同年、牧口雄二監督の東映ポルノ『玉割り人ゆき』と続編『玉割り人ゆき 西の廓夕月楼』(1976年)に主演[1]。 『日本映画俳優全集・女優編』では、北川れい子から『玉割り人ゆき』『玉割り人ゆき 西の廓夕月楼』に関しては「情念を抑えつつなお情念に揺れ動く女を抑制した演技で好演」と評価されている[1]。しかし、『玉割り人ゆき』の監督・牧口雄二は「潤の芝居が下手過ぎて、すごい上手い人が欲しいと中島葵を脇でキャスティングした。潤は雰囲気だけの女優」と酷評している[5]。もっとも、牧口の演出はこうした現場での苛立ちを全く引きずっておらず、潤はこのカルト映画の顔として北川のような高評価も引き出した。成人映画評論家・北川康春は「細い体とあどけない顔に似合わぬ大きな胸、これが彼女のポイントです。ただし、演技はできない。いってみれば、ロマンポルノの中の"お姫様女優"です」と評している[2]。1976年に芸名を潤まりと改め、日活『暴行切り裂きジャック』(長谷部安春監督)に助演した後、24歳でスクリーンから姿を消したと『日本映画俳優全集・女優編』には書かれているが[1]、テレビドラマは1980年の『真夜中のヒーロー』(日本テレビ)まで、出演歴が見られる。また荒木のプロデュースで歌も出し[3]、歌手としてRCAから「裏町巡礼歌」(1974年)と「新小岩から亀戸へ」(1976年)の2枚のレコードを出している[4]。他にテレビのナイトショーの司会も務めたとされる[1]。 出演作品映画
テレビドラマ
レコード
脚注出典
参考文献
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