漫画大快楽
『漫画大快楽』(まんがだいかいらく)は、1975年から1982年まで檸檬社が発行していた三流劇画誌。ライバル誌『漫画エロジェニカ』『劇画アリス』と共に「三大エロ劇画誌」のひとつと称される。表紙イラストは辰巳四郎。最盛期(1979年)の発行部数は12万部[1][2]。 創刊者は『劇画アリス』初代編集長の亀和田武。編集人は菅野邦明と小谷哲。後に中森愛(正確にはデビュー前)が編集を担当した[3]。 概要→「エロ劇画誌 § 三流劇画ムーブメント」も参照
1975年10月に檸檬社の亀和田武と小谷哲を編集者に迎えて創刊される[4][2]。なお「大快楽」という誌名の発案者は亀和田であり、先行誌『漫画快楽号』(KKベストセラーズ)に因んで命名されたものである[5]。 当初はあがた有為や谷口ジローらが作品を発表する硬派な三流劇画誌だったが、中期から平口広美、宮西計三、安部慎一、鈴木翁二、ひさうちみちおなどガロ系作家が多数参入し[6]、三流劇画とニューウェーブが融合したマニアックな漫画の発表の場となっていった(当時『エロジェニカ』は「COM派」で『大快楽』は「ガロ派」と目されていたという)[7]。 その後、亀和田はアリス出版で『劇画アリス』(のち迷宮'79編集)を創刊し、亀和田と入れ替わる形で菅野邦明が編集に参加。小谷・菅野の二頭体制となる[2]。三流劇画ブームが頂点に達した1979年には亀和田と『漫画エロジェニカ』編集長の高取英が対立し[8]、本誌の小谷も『エロジェニカ』と誌上抗争を展開する。さらに『大快楽』側の板坂剛が『エロジェニカ』側の流山児祥を攻撃し、路上で流血沙汰(8・23下北沢戦斗)を起こした[9][10][11]。 しかし『劇画アリス』と『漫画エロジェニカ』は1980年に休刊。また創刊当初から編集に携わっていた小谷も同年6月号[12]で降板して『漫画カルメン』(蒼竜社)に移籍し、菅野も『漫画ピラニア』(辰巳出版)に移籍する。ここに三流劇画の黄金時代を築いた小谷・菅野体制は崩壊した[13]。 その後はロリコンブームの影響からロリコン劇画家で知られる野口正之、谷口敬、村祖俊一、火野妖子、五藤加純、牧村みき、小鈴ひろみ、西江ひろあき、中村威久水らが起用されるも、三流劇画退潮の波には勝てず、檸檬社の倒産により未払い原稿料を残したまま[14]1982年10月号をもって廃刊する。 主な執筆作家
掲載情報1975年
1976年
1977年
1978年
1979年
1980年
1981年
1982年
檸檬社倒産により廃刊 脚注
参考文献
関連項目外部リンク
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