浦田博信
浦田 博信(うらた ひろのぶ、11月24日 - )[1]は、日本の作曲家・編曲家、歌手、ギタリスト、ラジオパーソナリティ。歌手天童よしみ出演で有名なノーベル製菓VC-3000のど飴[2]や、伯方の塩[3]など、わずか数秒で視聴者の耳に残るテレビCMソング(サウンドロゴ)を数多く手掛けている。 来歴・人物大阪府出身。大阪府立清水谷高等学校卒業、大阪外国語大学(現・大阪大学)外国語学部ロシア語学科中退。高校生の時に同級生とヤマハ・ライト・ミュージック・コンテストに出場し全国大会2位に輝くなど早くから歌手や作曲家・編曲家、ギタリストとして活躍しており、1973年(昭和48年)細野晴臣・吉野金次のプロデュースで関西フォークメンバーで結成された『風コーラス団』(浦田と宇野博信、田中テルキ、水野隆志、木村恭子の5人)として第6回ヤマハポピュラーソングコンテスト(ポプコン)に出演。翌1974年の第7回ポプコンでは『まいだち』で、1975年の第8回ポプコンでは『麦畑』でいずれも入賞した。風コーラス団は1974年に初アルバム『愛色の季節』を出して、1976年に解散した[4]。 1992年(平成4年)には、風コーラス団メンバーでシンガー・ソングライターとして多数のCM曲を手がけて「なにわのベートーベン」と呼ばれていた木村恭子とデュオ『Jalan-Jalan(ジャランジャラン=インドネシア語で散歩の意)』を結成。デュオ名の通り「散歩のような“リラックス・アンビエント・ミュージック”」を制作し、アルバム『流れ着きし者の詩』を出す[5]。次作『BALI dua』ではインドネシアロンボク島民の演奏も収め「世界中のアンビエント・ファンを魅了した」とあるのは同名の別ユニットのことである[要出典] 風コーラス団として1973年ポプコン出場時からボーカルと「MC」トーク役を兼務するなど会話も得意なため、1992年に大竹まこと後任として朝日放送ラジオの音楽番組『ABCミュージックパラダイス』のラジオパーソナリティを担当。現在も大阪ミナミのFMラジオ局YES-fmで『浦田博信の古今東西音楽ウラ話』(毎週木曜22時〜23時)の番組を持っている。 大阪音楽短期大学やヤマハ音楽院(財団法人ヤマハ音楽振興会)、エイベックスなど多くの教育機関やレコード会社で若いアーティストを育成。スリーピースバンド「Sound_Schedule」、姉妹デュオ「Les.R」、男性デュオ「ひまり」、3人組ユニット「CORE OF SOUL」、韓国の歌手で俳優の「JONTE」ら多数を指導している[6]。 CMソング伯方の塩「秒殺作曲家」浦田は強烈な印象で記憶に残るテレビCM曲を作るため、一瞬で視聴者の関心を奪う「秒殺作曲家」と呼ばれる[7]。中でも、「♪は!か!た!のぉしおー」と叫ぶ伯方の塩のCMソングは1987年(昭和62年)当時「インパクトが強すぎるとの批判」がありスポンサー企業の伯方塩業は困惑したが、その後「小学生も口ずさんでくれる」ほど流行し人気となり、伯方塩業も「塩では日本で一番知られている」と高く評価した結果、30年以上経った現在も放送されている[8]。 ただし、浦田は当時、週5日ペースでスタジオに入り、CM曲やカラオケ曲を「(5000曲を自称する)キダ・タローさんには負けるけど」「月に7、8本は作って」いるほど多忙のため、伯方の塩CMソングも「5~10分くらいで」作曲し「録音も10分くらいで終わった」作品に過ぎなかった[9]。 そんな伯方の塩CMソングだが、手塩に掛けた思いから浦田は2019年(令和元年)現在も「二小節目の一拍目の音を間違えてる人が多い」と指摘し、オリジナルの譜面(DではなくB)をツイッターに掲載するほど、思いは変わらない[10]。 主な作品アルバム
作曲
編曲
テレビ音楽・ラジオ音楽
テレビCM音楽
ステージ音楽
スポーツ音楽その他市町村歌など それ以外
脚注出典
外部リンク
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