浅見淵

浅見 淵(あさみ ふかし、1899年明治32年〉6月24日[1] - 1973年昭和48年〉3月28日[1])は、日本小説家[2]文芸評論家

人物・来歴

兵庫県神戸市に生まれる[1]。1926年早稲田大学文学部国文科卒業[1]。在学中に「朝」の同人に加わり[1]、初めて書いた小説「山」が下村千秋に推賞される[要出典]。1933年尾崎一雄丹羽文雄らとともに「小説」を創刊[1]。1934年尾崎と丹羽、田畑修一郎と「世紀」を創刊[1]。1935年尾崎と小田嶽夫らと「木靴」を創刊[1]。同年、砂子屋書房の創業に参加[1]。戦中は満洲国で文学活動を行った[1]。1949年早稲田大学高等学院講師[1]、翌年同学院専任教員[1]。1960年早稲田大学商学部に出講[1]、1970年定年退職[1]

戦後は井伏鱒二上林暁らの「阿佐ヶ谷会」の主要メンバーで、尾崎一雄と親しく、随筆『単線の駅』や、回想記『あの日この日』によく出ている[要出典]。文芸評論家としては梅崎春生石原慎太郎三浦哲郎五木寛之らをいち早く見出し[1]、新人作家発掘に力を注いだ[1]。没後に著作集(全3巻)が刊行。

著書

編集

編著

翻訳

著作集

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 浅見 淵 | 兵庫ゆかりの作家”. ネットミュージアム兵庫文学館 : 兵庫県立美術館. 2022年7月7日閲覧。
  2. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 28頁。

外部リンク

 

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