浅茅野駅

浅茅野駅
あさじの
Asajino
飛行場前 (3.9* km)
(6.2 km) 猿払
所在地 北海道宗谷郡猿払村字浅茅野
北緯45度13分0.9秒 東経142度13分31秒 / 北緯45.216917度 東経142.22528度 / 45.216917; 142.22528
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 天北線
キロ程 76.7 km(音威子府起点)
電報略号 チノ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1919年大正8年)11月1日[1]
廃止年月日 1989年平成元年)5月1日[1]
備考 天北線廃線に伴い廃駅
*キロ程は実キロ(営業キロは最後まで設定されなかった)
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1977年の浅茅野駅と周囲約500m範囲。上が南稚内方面。相対式ホーム2面2線、副本線、駅舎横の南稚内側に貨物ホームと引込み線をもつ。この時点では相対側ホームが既に撤去されて実質駅舎側の単式ホーム1面使用となっているようである。駅舎横と駅裏のストックヤードには、まだ貨物が野積みされており、貨物列車が留置されている。かつては近くを流れる猿払川上流の支流セキタンベツ川沿いの炭坑で採炭された石炭の出荷駅でもあった。
その後1983年の時点で、中線風に残されていたかつての2番線の分岐が切られて放置されているのが確認されている[2]。また廃止前までに他の側線も全て撤去された。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

浅茅野駅(あさじのえき)は、北海道宗谷支庁宗谷郡猿払村字浅茅野にかつて存在した、北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線廃駅)である。電報略号チノ事務管理コードは▲121910[3]

歴史

駅名の由来

1973年に国鉄北海道総局が発行した『北海道 駅名の起源』では「この付近には泥炭地が多く、たけの低いカヤが生えているので[9]」名付けたとしている。

駅構造

廃止時点で、1面1線の単式ホームを有する地上駅であった。ホームは、線路の西側(南稚内方面に向かって左手側)に存在した[2]。かつては、2面2線の相対式ホームを有する列車交換が可能な交換駅であった。1983年(昭和58年)時点では、使われなくなった外側の1線は交換設備運用廃止後も側線として残っていた[2]。そのほか本線の南稚内方から分岐し駅舎北側の切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線、また本線の音威子府方から分岐した分岐器が撤去され、途中に車止めの置かれた行き止まりの側線を1線有していた[2]

無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の西側に位置し、ホーム中央部分に接していた。木造板張りの駅舎であった[2]

利用状況

乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。

年度 乗車人員 出典 備考
年間 1日平均
1978年(昭和53年) 60 [10]
1981年(昭和56年) (26.0) [2] 1日当たりの乗降客数は52人

駅周辺

低いが茂る湿地帯で、原始林に囲まれていた[2]

駅跡

周辺の線路跡は、浜頓別駅跡から猿払駅跡までが「北オホーツクサイクリングロード」に転用されている[12]

2001年(平成13年)時点では、交流センターの裏手にホームだけ残存していた[12]2010年(平成22年)時点でも同様であった[13]

また、駅名標の枠から取り外された駅名表示部分は、鬼志別駅跡に建築された「鬼志別バスターミナル」1階の天北線の資料展示室に保存・展示されている[14]

隣の駅

北海道旅客鉄道
天北線
飛行場前駅 - 浅茅野駅 - 猿払駅

脚注

  1. ^ a b c 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、906頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ a b c d e f g h i 宮脇俊三 編『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』原田勝正小学館、1983年7月、189頁。ISBN 978-4093951012 
  3. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、240頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362023年2月11日閲覧 
  4. ^ a b c d e f 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 20号・宗谷本線/留萌本線、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2009年11月2日、14-17頁。 
  5. ^ 「12駅の無人化など 天北線 興浜北線 17日から合理化実施」『北海道新聞』1973年9月14日、夕刊。
  6. ^ 高浜博隆『国鉄駅名全百科』 36巻、鉄道友の会東京支部(56.4訂補版)、小学館〈コロタン文庫〉、1981年10月、22頁。 
  7. ^ “日本国有鉄道公示第51号”. 官報. (1982年5月31日) 
  8. ^ “「通報」●天北線下頓別駅ほか1駅の駅員無配置について(旅客局)”. 鉄道公報 (日本国有鉄道総裁室文書課): p. 2. (1982年5月31日) 
  9. ^ 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、187頁。ASIN B000J9RBUY 
  10. ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、894頁。doi:10.11501/12065814https://dl.ndl.go.jp/pid/12065814 
  11. ^ 『北海道道路地図 改訂版』地勢堂、1980年3月、17頁。 
  12. ^ a b c 宮脇俊三 編『鉄道廃線跡を歩くVIII』JTBパブリッシングJTBキャンブックス〉、2001年7月、40-42頁。ISBN 978-4533039072 
  13. ^ 今尾恵介 編『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』JTBパブリッシング、2010年3月、18頁。ISBN 978-4533078583 
  14. ^ 本久公洋『北海道の鉄道廃線跡』北海道新聞社、2011年9月、249-250頁。ISBN 978-4894536128 

関連項目