津軽信敏
津軽 信敏(つがる のぶとし)は、江戸時代前期の旗本。陸奥国黒石領2代当主。 略歴初代当主・津軽信英の長男として誕生。 寛文3年(1663年)1月、15歳で家督を継ぎ2代当主となる(当時の黒石領主は交代寄合の旗本)。所領は相続時点で5000石、のち弟・信純に上野国領半分など1000石を分知した(黒石支藩、黒石別家)。 延宝2年(1674年)、父・信英の13回忌に、信英霊廟を陸奥弘前藩本家4代藩主・津軽信政と共に参拝、石灯籠などを建立した(黒石神社に現存)。天和2年(1682年)、上総大館に大館八幡宮を再興する(同地に本殿現存)。 黒石は英邁で聞こえた先代信英の治世により、業種別の町割を奨めていたが、信敏はさらに「一町一業種一年間無税のお触れ」を出すなど、商業振興に努めた。天和3年(1683年)9月13日、死去。享年38。家督は長男・政兕が相続した。 若いころから鷹狩を好んだらしいことが、黒石の神社に伝わる伝承により推測される。 系譜父母
正室
子女 脚注
|