法性寺 雅平(ほっしょうじ まさひら)は、鎌倉時代中期の公卿。藤原北家室町家、正三位・室町家信の二男。官位は従二位・左近衛中将。
経歴
安貞2年(1228年)に叙爵。右衛門佐・右近衛少将を経て、建長5年(1253年)に左近衛中将となる。文永3年(1266年)従三位、侍従。文永7年(1270年)、兼紀伊権守、正三位。
弘安元年(1278年)3月に従二位となるが、同年8月に出家、9月2日に50歳で薨去。
系譜
- 父:室町家信
- 母:右京大夫信隆女
- 正室:法印賢信女
- 継室:丹波守藤原光氏女
- 側室:後深草院弁内侍 - 右京大夫藤原信実女
- 生母不詳の子女
- 男子:親家(親平)
- 男子:雅世
- 男子:深恵
- 男子:定慈
- 女子:大宮院権中納言(昭慶門院近衛)- 権大納言花山院家教室
- 女子:後二条院按察典侍 - 正三位源光忠室(離別)
- 女子:亀山院堀河
- 女子:大宮院女房
- 女子:今出川院中納言
出典
- 近藤敏喬 編『宮廷公家系図集覧』、東京堂出版、1994年
- 橋本政宣 編『公家事典』、吉川弘文館、2010年