泉神社 (日立市)
泉神社(いずみじんじゃ)は茨城県日立市にある神社である。『延喜式神名帳』の「天速玉姫命神社」に比定されており、境内にある湧泉は『常陸国風土記』に「密筑の里の大井」として記述がある。椎や松から成る境内の泉ヶ森は茨城県の史跡に指定されている。 祭神祭神は次の1柱[1]。
天速玉姫命は記紀には登場しない神である[1]。『茨城県神社誌』によれば、「天速玉姫命は天棚機姫命の女で、天太玉命の后神、天比理刀咩命とも云う」としている[1]。祭神名の「速玉」は清泉の美称であり、大井という湧泉が神格化されたものが本祭神と考えられている[4]。『日本三代実録』では「姫」の字がない「天速玉神」について言及があるが、『式内社調査報告』などでは天速玉姫命と同神と見なしてよいとしている[5]。 歴史創建年代は不詳[1][4]。崇神天皇49年に久自国造の船瀬宿禰による創建とする説もあるが[3]、船瀬宿禰は成務天皇の時代の者であり、後世の創作だと指摘されている[1]。境内の泉ヶ森は『常陸国風土記』久慈郡の条にある「密筑の里の大井」に比定され、泉神社は『延喜式神名帳』に記載されている「天速玉姫命神社」に比定される[1]。なお、『常陸国風土記』には泉神社に関する記述はない[5]。 『日本三代実録』によれば、天速玉神は866年(貞観8年)5月27日に正六位上から従五位下に昇階し、874年(貞観16年)12月29日には従五位下から従五位上に昇階している[6]。『延喜式神名帳』では常陸国久慈郡に「天速玉姫命神社」と記載され、小社に列せられている[1]。明治維新後は、明治6年(1873年)4月に近代社格制度において郷社に列せられた[1]。 現存する棟札によれば、1530年(享禄3年)に佐竹義篤が社殿を修理し社号を泉大明神に改めたとされる[4]。永禄3年には佐竹義昭が社殿の葺替えをし、江戸期には水戸藩の保護下で寛延3年6月26日に造営が行われた[6]。その後、享和年間(1801-1804年)に社殿を焼失し、文化年間(1804-1818年)に再建した[4]。1960年(昭和35年)に再び社殿を焼失し、1961年(昭和36年)に仮社殿を建築した[4]。『常陸多賀郡史』によれば、消失前の社殿は本殿の間口九尺・奥行き八尺、拝殿は表四間三尺、奥行き二間三尺であったとされる[5]。 境内境内の敷地は1185坪(3917平方メートル)、境外所有地は6655坪(2万2000平方メートル)[3]。1961年(昭和36年)に建てられた社殿は、本殿が鉄筋コンクリート製の流造で間口一間二尺・奥行き二間、拝殿は屋根がトタン葺入母屋造で間口三間三尺・奥行き三間である[5]。 泉神社の境内一帯は泉ヶ森と呼ばれ、茨城県の史跡に指定されている[6]。椎や松などの常緑樹から構成される[4]。『常陸国風土記』久慈郡の条に「密筑の里の大井」とあるのが泉ヶ森とされる[2]。泉ヶ森北東部には、周長約40メートル、最大水深約2メートルの湧泉がある[4]。この泉はすり鉢のように池の中心に向かって急に深くなり、大小20余の泉穴がある[4]。 境内社境内社は下記の通り[7]。
祭事文化財県指定無形民俗文化財
県指定史跡交通アクセス出典参考文献
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