沼田嘉一郎沼田 嘉一郎[1][2][3][4](ぬまた かいちろう[5][6][7]、1878年(明治11年)8月[8] - 1937年(昭和12年)11月13日[5][6])は、日本の商人(皮革商)[9]、政治家、会社役員。衆議院議員(当選3回)[6]。大阪市会議員[1][3][8][10][11]。西浜土地建物常務取締役[2][6][8][12]。族籍は大阪府平民[11][13]。 経歴大阪府・沼田勇吉の長男[11][13][14][15]。大阪市生まれ[2][3][8]。母親の里である和歌山県西牟婁郡朝来村に幼少時代を過ごす[16]。1885年、先代ミワの養子となり後家督を相続する[11][12][14]。 漸次家運を隆興に導き、財を積む[4]。1904年、南区の青年会から推されて区会議員になる[10]。1913年、選ばれて市会議員の要職に就く[4]。1924年、衆議院議員に当選。政友本党[2]、立憲政友会[6][8][15]に所属。 西浜土地建物会社重役、都市計画大阪地方委員会委員、宅地賃貸価格調査委員、国勢調査委員、中央市場設置調査委員、大阪府方面委員常務委員理事、借地借家調停委員等に推される[14]。 人物寺田蘇人著『部落の人豪』に大阪市の部落有力者として沼田嘉一郎の名前が挙げられ、「頭脳明敏にして其の辣腕快刀乱麻を断つの概あり」と評されている[1]。 嘉一郎の幼い頃、家は豊かではなかった[4]。幼い頃より父祖の業に携わっていたので、学ぶべき暇はなく、何ら数えるべき学歴は有していない[4]。小学校の課程を終えたのみで、余は独学独行する[4]。 宗教は真宗[15]。趣味は銃猟[15]。大阪府在籍で[12][14]、住所は大阪市浪速区西浜南通三丁目[4][12][15](現・浪速西[17])。東京宅は東京市赤坂区新坂町[15]。 家族・親族
脚注注釈出典
参考文献
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