河渡(こうど)は、新潟県新潟市東区の町字。現行行政地名は河渡一丁目から河渡三丁目と大字河渡。住居表示は一丁目から三丁目が実施済み区域、大字が未実施区域[4]。郵便番号は950-0024[2]。
概要
1889年(明治22年)まであった河渡新田の区域[5]。物見山砂丘の南麓、通船川の北岸に位置する[5]。地名は、阿賀野川の渡河地点であったことに由来する[5]。
隣接している町字
北から東回り順に、以下の町字と隣接する。
地域
- 河渡 (こうど)
- 1980年(昭和55年)から現在の町名[6]。はじめは1丁目から2丁目までだったが、1983年(昭和58年)から1丁目から3丁目になった[6]。
- 河渡庚 (こうどかのえ)
- 河渡から南東にある大字。地図上では河渡と表示され、区域の大半は「マーケットシティ河渡」になっている。
- 河渡甲 (こうどこう)
- 新潟空港がある松浜町に隣接する大字。地図上では河渡と表示される。
歴史
かつては沼垂町の一部で、沼垂町移転時に独立したという説もある[5]。
1889年(明治22年)以後は松島村の大字となり、1898年(明治31年)に新松島村、1901年(明治34年)に大形村の大字となる[6]。1929年(昭和4年)には宅地分譲が行われ、1935年から1945年(昭和10年代)には新潟人絹工場、昭和石油社宅、石井精密が設置された[6]。
1943年(昭和18年)に新潟市の大字となり、それまでは河渡新田と称したが、新潟市への編入時に河渡に改称した[6]。1950年(昭和25年)から1983年(昭和58年)にかけて、一部が平和町、船江町、浜谷町、河渡、河渡新町、河渡本町、幸栄、物見山、小金町、松和町、松園、有楽、白銀、藤見町に分立[6]。1955年から1965年(昭和30年代)には砂丘地の宅地化が急速に進み、1964年(昭和39年)の新潟地震以後、住宅地に変わった。新潟市が政令市に移行した2007年(平成19年)以後、新潟市東区の大字となっている。
分立した町字
1889年(明治22年)以後に、以下の町字が分立。
- 空港西 (くうこうにし)
- 1989年(平成元年)から2002年(平成14年)の間に分立した町字[7]。
- 幸栄 (こうえい)
- 1980年(昭和55年)から、現在まである新潟市の町名[8]。1丁目から3丁目がある[8]。かつては松林だったが、1964年(昭和39年)の新潟地震後に宅地化された[8]。
- 河渡新町 (こうどしんまち)
- 1983年(昭和58年)から現在の町名[6]。1945年から1955年(昭和20年代)から人家ができ始め、河渡新町と俗称されていた[6]。新潟地震以後に急速に開発が発展し、宅地化した[6]。
- 河渡本町 (こうどほんちょう)
- 1983年(昭和58年)から現在の町名[6]。町名は、河渡本来の集落があることに由来する[6]。
- 小金台 (こがねだい)
- 1999年(平成11年)11月1日に分立した町字[9]。
- 小金町 (こがねちょう)
- 1951年(昭和26年)から、現在まである新潟市の町名[10]。
- 白銀 (しろがね)
- 1973年(昭和48年)から、現在まである新潟市の町名[11]。1964年(昭和39年)の新潟地震後に宅地化された[11]。
- 浜谷町 (はまやちょう)
- 1957年(昭和32年)から、現在まである新潟市の町名[12]。町名の由来は、字浜谷内にちなむとされる[12]。1945年から1955年(昭和20年代)に人家が建ち始めた地域で、以前は原野であった[12]。
- 藤見町 (ふじみちょう)
- 1950年(昭和25年)から、現在まである新潟市の町名[13]。町名は、藤が群生していたことにちなみ[13]、王瀬の長者が藤を植えて藤見をした場所であるとされる[14]。1988年(昭和63年)10月3日に住居表示を実施し、藤見町1丁目、藤見町2丁目となる[15]。
- 船江町 (ふなえちょう)
- 1952年(昭和27年)から、現在まである新潟市の町名[16]。1955年から1965年(昭和30年代)に県営住宅、市営住宅が建設されたが、新潟地震以後は砂丘を削って急速に開発が発展し、宅地化した[16]。2000年(平成12年)11月27日に住居表示を実施し、河渡甲の一部を加えて船江町1丁目、船江町2丁目となる[17]。
- 平和町 (へいわちょう)
- 1952年(昭和27年)から、現在まである新潟市の町名[18]。町名は、この地にあった太平鉱業(現:三菱マテリアル)の「平」と、昭和石油の「和」を組み合わせたもの[18][19]。太平鉱業は1936年(昭和11年)に新潟人絹工場として進出した後、新潟地震前に移転[18]。昭和石油は1934年(昭和9年)に新油石油として進出していた[18]。
- 松園 (まつぞの)
- 1980年(昭和55年)から、現在まである新潟市の町名[20]。もとは河渡、小金町の一部で、かつては松林であった[20]。現在は宅地化され、住宅地になっている[20]。
- 松和町 (まつわちょう)
- 1980年(昭和55年)から、現在まである新潟市の町名[21]。もとは河渡、物見山、小金町の一部[21]。
- 物見山 (ものみやま)
- 1980年(昭和55年)から、現在まである新潟市の町名[22]。もとは1960年(昭和35年)から1980年(昭和55年)まであった物見山町と河渡、浜谷町の一部で、1丁目から4丁目がある[22]。町名は物見山砂丘にちなむ[22]。
- 有楽 (ゆうらく)
- 1973年(昭和48年)から、現在まである新潟市の町名[23]。かつては松林だった所で、新潟地震以後に急速に開発が発展し宅地化した[23]。
年表
世帯数と人口
2018年(平成30年)1月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字・丁目 |
世帯数 |
人口
|
河渡
|
332世帯
|
702人
|
河渡一丁目
|
328世帯
|
993人
|
河渡二丁目
|
316世帯
|
728人
|
河渡三丁目
|
281世帯
|
682人
|
計
|
1,257世帯
|
3,105人
|
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[24]。
主な企業・施設
- 新潟河渡郵便局
- 原信マーケットシティ河渡
- コメリパワー 河渡店
交通
幹線道路山の下東港線が東西に走る。
- バス
脚注
- 注釈
- 出典
参考文献
関連項目