池田清就

池田 清就(いけだ きよなり、1898年明治31年)9月16日 - 1966年昭和41年)6月4日[1])は、因幡若桜藩(鳥取西館新田藩)池田家第11代当主。最後の藩主であった池田徳定の子。母は、池田慶徳の養女・池田常子(池田敬三郎の長女)。1910年から1947年まで子爵であった。

経歴・人物

1910年(明治43年)襲爵し、学習院高等科を経て、1923年大正12年)京都帝国大学経済学部卒業[2]

家系

菩提寺向島弘福寺で、関東大震災後の区画整理により昭和3年に清就が合葬したという記載がある

  • 池田徳定
  • 母 池田常子(池田慶徳養女、実父は池田敬三郎)
  • 妻 池田謙子(侯爵池田仲博の娘)
  • 長女 喜代子(1927年 - 、夫:辻達也
  • 次女 澄子(1929年 - 、夫:松前紀男
  • 長男 池田隆(1936年 - 1978年、子:真喜子(1966年 - 、母:愛敬治子 1944年 - 2000年)、妻:桑原三幸(1949年 - 、父:桑原善義))

脚注

参考文献

  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』 上巻、霞会館、1996年。ISBN 9784642036702 
  • 人事興信所『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2127124 
日本の爵位
先代
池田徳定
子爵
若桜池田家第2代
1910年 - 1947年
次代
華族制度廃止