永野裕貞
永野 裕貞(ながの ひろさだ、1922年(大正11年)5月21日[1][2][3] - 2021年(令和3年)11月22日[4])は、昭和後期から平成期の地方公務員、政治家。長野県上田市長。 来歴長野県上水内郡三水村[1][3][5](現飯綱町)で、永野貞治、はまえの長男として生まれた[1]。旧制長野中学(現長野県長野高等学校)を経て[1]、1944年(昭和19年)9月、旧制上田繊維専門学校を卒業[1][2][3][5]。 1947年(昭和22年)5月、長野県庁に入庁し、長水地方事務所次長、北佐久地方事務所長、総務部管財課長、同地方課長、下伊那地方事務所長、長野県教育委員会教育次長、人事委員会事務局長、生活環境部長を歴任し[1][2][3][5]、1978年(昭和53年)上田市助役に就任[2][3]。 1982年(昭和57年)3月、上田市長選挙に当選し[2][3][5]、1994年(平成6年)3月まで3期務めて引退した[3]。在任中は渋滞緩和政策や、塵芥焼却場の建設などに力を入れた[2]。その他、信越放送取締役[5]、長野大学理事長[3]を務めた。 脚注参考文献 |