水野鼎蔵
水野 鼎蔵(みずの ていぞう、1890年(明治23年)3月26日[1][注釈 1] - 1968年(昭和43年)8月17日[2])は、大正から昭和期の実業家、政治家、教育者。長野県上田市長。 来歴長野県小県郡上田町房山[2](現上田市上房山[2])で、旧家・水野茂平の長男として生まれた[3]。1910年(明治43年)旧制上田中学(現長野県上田高等学校)を卒業[1][2][4]。国内外の玩具に興味を持ち、1922年(大正11年)地元に日本アルプス玩具水野工場を創業し[2][3]、海外輸出を軌道に乗せ、日本貿易協会から表彰された[2][3][4]。1941年(昭和16年)上田化工を設立し、専務取締役工場長となる[3][4]。戦後はアルプス玩具を経営[3]。その他、上田商工会議所議員、長野県商工経済会評議員、上田ガス取締役、上田信用金庫理事なども務めた[2]。1961年(昭和36年)事業を長男・洋三が継承した[2]。 1937年(昭和12年)長野県司法保護委員となり[1]、1939年(昭和14年)7月、上田市会議員に当選し[4]、1944年(昭和19年)議長に就任し1946年(昭和21年)まで在任[1][2][5]。1951年(昭和26年)4月、上田市長に当選し1959年(昭和34年)4月まで2期務めた[1][2][3][4]。在任中は上田市立高等学校の県立移管(現長野県上田千曲高等学校)、小中学校の学区改革、国立療養所の移転、市営産院の新設、産業道路の開通などに尽力し、昭和の大合併では小県郡6村との合併を実現させた[1][2][3][4]。 退任後は私学振興に力を入れ、学校法人上田学園を設立し理事長に就任し、1960年(昭和35年)上田城南高等学校(現上田西高等学校)を創立し、その経営に当たった[2][3][4]。 脚注注釈
出典参考文献
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