永里源気
永里 源気(ながさと げんき、1985年12月16日 - )は、神奈川県厚木市出身のサッカー選手。ポジションはフォワード(FW)、ミッドフィールダー(MF)。 来歴小学1年からサッカーを始め、中学進学後はヴェルディジュニアユースに入団。2001年より湘南ベルマーレユースに移る。2003年には神奈川県選抜として国民体育大会サッカー競技に出場。得点王と優秀選手賞を受賞し、優勝に貢献した[6]。 2004年より湘南のトップチームに昇格[6]。左右を問わずサイドバック、サイドミッドフィルダーとしてプレーし[7]、2006年からは本職のFWとしても試合に出場するようになった。 自身22歳の誕生日である2007年12月16日に入籍。翌2008年に一児の父となった[7]。 2009年、ジュニアユース時代に所属していた東京Vへ移籍[8]。積極果敢にゴールに絡む思い切りの良いプレーを見せていたが[9]、「家族の事を考え」1年で退団した[10]。 2010年にはアビスパ福岡へ移籍[11]。相手の背後を付くスピードを発揮し[12]、第36節岐阜戦でのJ1昇格を決定付ける2得点を含め[13]、リーグ戦で15得点を挙げた(得点ランキング4位)。 サイドでの鋭い突破力を買われ[14]、2011年からはヴァンフォーレ甲府へ移籍[15][5]。自身初となるJ1での戦いとなり、序盤は先発出場を続けていたが、7月に入ってFWパウリーニョが先発復帰したことを境に出場機会を失った[16]。 同年8月、FC東京へ期限付き移籍[17][18]。ジョーカー役としての加入だったため[19] 出場機会は多くなかったものの、2得点を挙げた(90分間での平均得点数ではリーグ最高を記録[20]。)。同年限りで移籍期間を満了し退団[21]。 2012年は甲府に復帰[22]。第39節福岡戦では決勝点を挙げ、甲府にJ2優勝の初タイトルをもたらした[23]。 2013年よりガイナーレ鳥取に移籍[24][25]。開幕直前の靭帯損傷によって[26]、初得点は第18節横浜FC戦と出遅れたが[27]、その後復調しチーム最多となる10得点を記録。シーズン半ばより主将を担い[28] チームを牽引したが、J3への降格を喫した。 2014年よりタイ・プレミアリーグのラーチャブリーFCに移籍[29]。第1節スパンブリーFC戦では移籍後初出場にして決勝点を挙げた。 2016年、ポートFCへ移籍[30]。 2017年12月にはJリーグ合同トライアウト出場した[31]。 2018年、東京ユナイテッドFCへ移籍[32]。 2020年、神奈川県社会人サッカーリーグ2部のはやぶさイレブンへ移籍[33]。同年9月には、妹の永里優季もはやぶさイレブンにレンタル移籍し、兄妹が男子チームに同時に在籍する初のケースとなった[34]。 2021年、選手としてプレーしながら(株)Happinectを設立。2022年には厚木市に「放課後等デイサービス Athletic club ハートフル」を開設した[35]。2023年1月28日に契約満了での退団が発表された[36]。 所属クラブ
個人成績
タイトル脚注
関連項目
外部リンク
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