永井直方

 
永井直方
時代 江戸時代後期
生誕 安永7年(1778年
天明2年1月19日1782年3月2日)とも
死没 文政8年4月25日1825年6月11日
別名 徹次郎、伝八郎(通称
戒名 勇心見性重翁院
墓所 東京都中野区上高田の功運寺
官位 従五位下、信濃
幕府 江戸幕府
大和新庄藩
氏族 永井氏
父母 父:永井直温
兄弟 直方直柄直景
正室:北条氏昉の娘
直養、次男、
娘(京極高行正室)、娘(志水忠愛室)、
娘(鈴木平之丞室のち永井直応正室)、
娘(永井直応継室)、娘(半井広明室)、他3女
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永井 直方(ながい なおかた)は、江戸時代後期の大名大和新庄藩の第5代藩主。永井家宗家9代。

安永7年(1778年)、第4代藩主永井直温の長男として生まれる。寛政3年(1791年)7月25日に世子となり、寛政7年(1795年)の父の死去で家督を継いだ。文政4年(1821年)9月23日に大番頭となる。文政8年(1825年)4月10日に家督を長男の直養に譲って隠居し、直後の4月25日に死去した。享年48。