水天宮利生深川水天宮利生深川 (すいてんぐう めぐみの ふかがわ)は歌舞伎の演目。通称『筆屋幸兵衞』(ふでや こうべえ),略して『筆幸』(ふでこう)。明治18年(1885年)千歳座初演、河竹黙阿弥作。三幕八場の世話物。 あらすじ
解説明治の新風俗を描いたいわゆる「散切物」の代表作。黙阿弥の家に筆を売りに来た士族の哀れな姿と、自宅の裏に住んでいた母親が発狂して我が子を川に投げ落とす騒動をヒントに作ったといわれている。 明治維新後、新政府は財政問題解決のため、旧武士階級の士族に一時金の代りに俸禄米支給を打ち切る「秩禄処分」を行った。それにより「士族の商法」と呼ばれる慣れない商売に失敗し没落する士族が続出し、政府への不満は征韓論や西南戦争さらに自由民権運動へと繋がっていく。そんな新時代に取り残された人物を主人公にしており、明治初期の社会問題をうかがう貴重な資料でもある。この没落士族のテーマは、同じ黙阿弥の『霜夜鐘十字辻筮』や、落語の『素人鰻』など明治期の文学作品に多く取り上げられている。 原作は、幸兵衛の筋と盗賊小天狗要二郎の筋に分かれているが、現在は上にあげた幸兵衛の件(原作の二幕目)が専ら上演される。ここでは余所事浄瑠璃の清元『風狂川辺芽柳』(かぜにくるうかわべのめやなぎ)に義太夫の掛合いが効果的で、華やかな音楽がかえって陰惨な幸兵衛の悲劇を倍増させ、黙阿弥の優れた作劇術が堪能できる。 初演時の劇場千歳座は水天宮の近くにあり、それをあてこんだものであった。外題名も「深川」と「めぐみ深い」とをかけた洒落た出来である。立役が艱難辛苦して、乳飲み子を抱えて放浪すると言う「乳貰い」などの従来の歌舞伎狂言のモチーフを新時代風にアレンジしており、初演も好評であった。とくに幸兵衛狂乱は、「気が狂い出してからおかしい動作をする底には無限の悲哀が篭もっている」(伊原青々園)と評されたように劇全般のクライマックスとして評価されていた。 初演時の配役関連項目 |
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