毛利高泰
毛利 高泰(もうり たかやす)は、江戸時代後期の大名。通称は岩之助。豊後国佐伯藩の第11代藩主。官位は従五位下・安房守、伊勢守。 略歴第10代藩主・毛利高翰の長男として誕生。 天保元年(1830年)、従五位下安房守に叙任する。天保3年(1832年)5月23日、父が病を理由に隠居したため、その跡を継いだ。藩財政再建のため、産物方を設置して専売制を行い、さらに殖産興業政策を推進した。また、領内の特産の海産物の流通統制などを行っている。嘉永6年(1853年)のペリー来航で海防が重視されると、西洋軍制を導入して砲術訓練や大砲鋳造などに尽力した。文久2年(1862年)12月9日、病を理由に家督を長男・高謙に譲って隠居した。 明治2年(1869年)に死去した。享年55。法号は泰雲院。 系譜父母
正室
子女
|