毛利高泰

 
毛利高泰
時代 江戸時代後期 - 明治時代
生誕 文化12年(1815年)1月
死没 明治2年9月1日1869年10月15日
別名 岩之助(通称)
戒名 泰雲院
官位 従五位下安房守伊勢守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉家慶家定家茂
豊後佐伯藩
氏族 毛利氏
父母 毛利高翰:不詳
兄弟 高泰細川行芬正室、喜連川煕氏正室
正室亀井茲尚の娘
高謙
テンプレートを表示

毛利 高泰(もうり たかやす)は、江戸時代後期の大名。通称は岩之助。豊後国佐伯藩の第11代藩主官位従五位下安房守伊勢守

略歴

第10代藩主・毛利高翰の長男として誕生。

天保元年(1830年)、従五位下安房守に叙任する。天保3年(1832年)5月23日、父が病を理由に隠居したため、その跡を継いだ。藩財政再建のため、産物方を設置して専売制を行い、さらに殖産興業政策を推進した。また、領内の特産の海産物の流通統制などを行っている。嘉永6年(1853年)のペリー来航で海防が重視されると、西洋軍制を導入して砲術訓練や大砲鋳造などに尽力した。文久2年(1862年)12月9日、病を理由に家督を長男・高謙に譲って隠居した。

明治2年(1869年)に死去した。享年55。法号は泰雲院。

系譜

父母

正室

子女