櫻田清芽
櫻田 清芽(さくらだ きよめ、1885年(明治18年)[1] - 1958年(昭和33年)12月31日[2])は、大正から昭和時代前期の政治家。青森県弘前市長。 経歴青森県津軽郡弘前植田町[2](中津軽郡弘前植田町を経て現:弘前市植田町)に生まれる[1]。弘前中学校を卒業後、明治大学予科に学ぶ[1]。帰郷後は教員などを経て、1910年(明治43年)陸奥日報社に入社し、編集長、弘前新聞主筆兼社長を歴任する[1]。 その間、弘前市会議員を26年、青森県会議員を20年務め[1]、1951年(昭和26年)4月、弘前市長に就任した[3]。中津軽郡11箇村との合併などを実現し、1955年(昭和30年)4月に満期退官[3]。その後は、1957年(昭和32年)より県公安委員長を務めたが、任期中に急逝した[1]。 親族脚注参考文献
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