橋田正人橋田 正人(はしだ まさひと)は日本のパーカッション奏者[1]、音楽プロデューサー[2]、ドラムサークル・ファシリテーター。 日本で最初の本格的なサルサ・バンドとされるオルケスタ・デル・ソルの創始者。 1970年代以降、ペッカーの通称で多数のレコーディングに参加し、後には橋田"ペッカー"正人[1]、ペッカー橋田などと名乗って活動している[3]。 経歴1970年、プロのミュージシャンとしての活動を始める[2]。 1977年にアメリカ合衆国へ渡り、ブラックミュージック、ラテン音楽系のミュージシャンたちとセッションを重ねる[1]。 1978年、日本で最初の本格的なサルサ・バンドとされるオルケスタ・デル・ソルを結成し、1981年には最初のレコード『レインボー・ラヴ』を発表した[4]。 1980年には、ジャマイカでソロ・アルバムをレコーディングし[1]、『ペッカー・パワー』と題してリリースした[5]。また、10インチ・レコードの企画盤『インスタント・ラスタ』を発表した[5][6]。 活動開始以来、松任谷由実、松田聖子など多数のレコーディングにスタジオ・ミュージシャンとして参加し、総数は25,000曲以上に達する[1][2]。 他方では、テレビCMのナレーションも数多く手がけている[1][2]。 2000年頃からドラムサークルの普及に取り組み、2004年にはドラムサークルファシリテーター協会(DCFA)を設立して、初代理事長となった[1][2][7]。2020年、DCFAは一般社団法人ドラムサークルファシリテーター協会となり、2022年に名誉会長及びオフィシャルアドバイザーに就任。 2011年、東日本大震災の被災地支援を目的として、特定非営利活動法人楽器で笑顔基金を設立し、理事長となる[2][8]。 脚注出典
外部リンク
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