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この項目では、政治家について説明しています。外務省調査局事務官などを歴任し1947年に没した外交官については「樺山資英 (外交官)」をご覧ください。 |
樺山 資英(かばやま すけひで、明治元年11月19日(1869年1月1日) - 昭和16年(1941年)3月19日[1])は、日本の官僚、政治家。貴族院議員。
経歴
栄典・授章・授賞
- 位階
- 勲章等
家族
- 父:樺山資雄(栃木県ほか5県の官選知事)
- 本人:樺山資英
- 妻:高島球磨子(高島鞆之助の次女)
- 長女:花子(荘清彦の妻)
- 次女:英子(林道雄の妻)
- 三女:貞子(小田成就の妻)
- 四女:雅子(井上信虎の妻)
- 五女:繁子
- なお西南戦争で薩軍の谷干城隊の指揮長だった陸軍大尉の阿多壮五郎を兄とするのは誤り。資英の兄・武熊は5歳で夭折している。
編著
脚注
- ^ 『日本近現代人物履歴事典』160頁。
- ^ 『官報』第3408号、大正13年1月4日。
- ^ 『官報』第3875号「叙任及辞令」1896年6月1日。
- ^ 『官報』第3861号「叙任及辞令」1896年5月15日。
- ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。
- ^ 『官報』・付録 1941年11月21日 辞令二
参考文献
- 秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年。
外部リンク