横山隆達横山 隆達 (よこやま たかみち、享保13年6月15日(1728年7月21日) - 安永5年12月27日(1777年2月5日))は、加賀藩年寄。加賀八家横山家第8代当主[1]。 父は加賀藩年寄横山貴林。正室は本多図書政冬の娘。子は横山隆従、横山隆美。幼名は時次郎、大膳、求馬。官位は従五位下・山城守、河内守。 生涯享保13年(1728年)6月15日、加賀藩年寄横山貴林の四男として金沢に生まれる。兄長世の早世により継嗣となり、寛延元年(1748年)に貴林の死去により家督と3万石の知行を相続する。 宝暦3年(1753年)、藩主前田重靖の家督相続の御礼言上の際に、江戸城で将軍徳川家重に拝謁する。宝暦7年(1757年)12月、従五位下・山城守に叙任される。後に河内守に遷任する。明和8年(1771年)、藩主前田治脩の家督相続の御礼言上の際に、江戸城で将軍徳川家治に拝謁する。安永5年(1776年)没。享年49。墓所は石川県金沢市野田山墓地。家督は嫡男隆従が相続した。 人物・逸話横山家に伝わる古文書調査で、江戸の父貴林から、馬術の練習に励む藩主宗辰に馬を献上したことや、宗辰の馬に乗せてもらったことを国許の隆達に伝える延享2年(1745年)に書かれた書状が発見された。 脚注
参考文献
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