榧 (樅型駆逐艦)

艦歴
計画 1917年度[1]
起工 1918年12月23日[1]
進水 1919年6月10日[1]
就役 1920年3月28日[1]
除籍 1940年2月1日[1]
性能諸元(計画)
排水量 基準:公表値 770トン
常備:850.00トン
全長 全長:290 ftin (88.39 m)
水線長:280 ft 0 in (85.34 m)
垂線間長:275 ft 0 in (83.82 m)
全幅 26 ft 0 in (7.92 m)または7.93m
吃水 8 ft 0 in (2.44 m)
深さ 16 ft 3 in (4.95 m)
推進 2軸 x 400rpm
直径 8 ft 6 in (2.59 m)、ピッチ3.378m
または直径2.565m、ピッチ3.353m
機関 主機:ブラウン・カーチス式オールギアードタービン(高低圧) 2基[2]
出力:21,500shp
ボイラー:ロ号艦本式缶(重油専焼) 3基
速力 36ノット
燃料 重油250トン
航続距離 3,000カイリ / 14ノット
乗員 計画乗員 107名[3]
竣工時定員 110名[4]
兵装 45口径三年式12cm砲 単装3門
三年式機砲 2挺
53cm連装発射管 2基4門
魚雷8本
搭載艇 内火艇1隻、18ftカッター2隻、20ft通船1隻
備考 ※トンは英トン

(かや)は、大日本帝国海軍駆逐艦で、樅型駆逐艦の2番艦である。同名艦に松型駆逐艦の「」があるため、こちらは「榧 (初代)」や「榧I」などと表記される。

艦歴

1918年大正7年)12月23日、横須賀海軍工廠で起工[5]1919年(大正8年)6月10日午後3時34分進水[6]1920年(大正9年)3月28日竣工[7]

1931年昭和6年)、満州事変時に華南の沿岸警備に従事した[1]

1940年(昭和15年)2月1日除籍。後に解体された[8]

艦長

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

艤装員長
  • 斎藤直彦 少佐:1919年5月13日[9] - 1920年2月2日[10]
  • (兼)斎藤直彦 少佐:1920年2月2日[10] -
駆逐艦長
  • 斎藤直彦 少佐:1920年2月2日[10] - 1920年11月20日[11]
  • (兼)大久保義雄 少佐:1920年11月20日[11] - 1920年12月1日[12]
  • 中島隆吉 少佐:1920年12月1日 - 1921年12月1日
  • 吉田庸光 少佐:1921年12月1日 - 1922年12月1日
  • 加藤仁太郎 少佐:1922年12月1日 - 1923年10月15日
  • 池田久雄 少佐:1923年12月1日[13] - 1924年6月1日[14]
  • 清水長吉 少佐:1924年6月1日[14] - 1924年12月1日[15]
  • 清水他喜雄 大尉:1924年12月1日[15] - 1925年4月1日[16]
  • 池田久雄 少佐:1925年4月1日[16] - 1925年12月1日[17]
  • (兼)長谷部喜蔵 少佐:1925年12月1日[17] - 1926年8月1日[18]
  • (兼)樋口通達 少佐:1926年8月1日[18] - 1926年12月1日[19]
  • 久宗米次郎 少佐:1926年12月1日 - 1928年12月10日
  • 江口松郎 少佐:1928年12月10日 - 1929年11月30日
  • 西村義治 少佐:1929年11月30日[20] - 1930年11月1日[21]
  • 上田光治 大尉:1930年11月1日[21] - 1932年4月1日[22]
  • 村上暢之助 少佐:1932年4月1日 - 1932年12月1日
  • (兼)吉村真武 少佐:1932年12月1日[23] - 1933年4月1日[24]

脚注

  1. ^ a b c d e f 『日本海軍史』第7巻、300頁。
  2. ^ #帝国海軍機関史下巻pp.589-590(四八五-四八六頁)
  3. ^ #一般計画要領書p.16、士官6名、特務士官3名、下士官26名、兵72名
  4. ^ #海軍制度沿革10-1(1972)pp.601-602、『大正八年六月十日(内令一八二) 海軍定員令中左ノ通改正セラル 二三等驅逐艦定員表ヲ附表ノ通改ム | 第六十表 | 二三等驅逐艦定員表 |(詳細、備考略) |』將校、機關將校6人、特務士官准士官3人、下士26人、卒75人
  5. ^ #T9公文備考21艦船1/駆逐艦樅、榧、楡、栗製造一件(1)画像22『大正七年十二月二十三日 横須賀海軍工廠長山中柴吉 海軍大臣加藤友三郎殿 驅逐艦二隻起工ノ件 驅逐艦樅及榧本日午前十時龍骨据付ヲ了ス(終)』
  6. ^ #T8公文備考20艦船3/進水画像3『大正八年六月十日(中略)驅逐艦樅本日午後三時十五分、榧同三時三十四分無事進水セリ(了)』、#T9公文備考21艦船1/駆逐艦樅、榧、楡、栗製造一件(1)画像34も同一内容。
  7. ^ #T9公文備考21艦船1/駆逐艦樅、榧、楡、栗製造一件(2)画像9『大正九年三月二十八日 横須賀工廠長 艦政局長 榧竣成ニ付本日仝艦長ヘ引渡ヲ了セリ(了)』
  8. ^ #日本海軍全艦艇史 資料編「主要艦艇艦歴表」12頁。
  9. ^ 『官報』第2031号、大正8年5月14日。
  10. ^ a b c 『官報』第2248号、大正9年2月3日。
  11. ^ a b 『官報』第2493号、大正9年11月22日。
  12. ^ 『官報』第2501号、大正9年12月2日。
  13. ^ 『官報』第3385号、大正12年12月4日。
  14. ^ a b 『官報』第3532号、大正13年6月3日。
  15. ^ a b 『官報』第3684号、大正13年12月2日。
  16. ^ a b 『官報』第3781号、大正14年4月2日。
  17. ^ a b 『官報』第3982号、大正14年12月2日。
  18. ^ a b 『官報』第4182号、大正15年8月2日。
  19. ^ 『官報』第4283号、大正15年12月2日。
  20. ^ 『官報』第878号、昭和4年12月2日。
  21. ^ a b 『官報』第1155号、昭和5年11月4日。
  22. ^ 『官報』第1575号、昭和7年4月2日。
  23. ^ 『官報』第1778号、昭和7年12月2日。
  24. ^ 『官報』第1875号、昭和8年4月4日。

参考文献

  • 海軍省 編『海軍制度沿革 巻十の1』 明治百年史叢書 第182巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。 
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 片桐大自『聯合艦隊銘銘伝』光人社、1993年。
    • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、光人社、2003年。
  • 『日本駆逐艦史』 世界の艦船 1992年7月号増刊 第453集(増刊第34集)、海人社、1992年。ISBN 4-905551-41-2 
  • 日本舶用機関史編集委員会/編『帝国海軍機関史』 明治百年史叢書 第245巻、原書房、1975年11月。 
  • 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1 
  • 「二等駆逐艦及水雷艇 一般計画要領書 附現状調査」。 
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『大正8年 公文備考 巻20 艦船3/進水』。Ref.C08021315200。 
    • 『大正9年 公文備考 巻21 艦船1/駆逐艦樅、榧、楡、栗製造一件(1)』。Ref.C08021556400。 
    • 『大正9年 公文備考 巻21 艦船1/駆逐艦樅、榧、楡、栗製造一件(2)』。Ref.C08021556500。 

関連項目