梶山力梶山 力(かじやま つとむ、1909年 - 1941年4月)は、昭和前期の経済社会学者。ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の翻訳で知られる。旧姓・田中。 経歴岡山県出身(福山市生れ、まもなく岡山市に移転)。第一高等学校を経て、1929年に東京帝国大学経済学部に入学。一高以来の恩師本位田祥男のもと、ドイツ宗教改革史、ドイツ農民戦争史の研究を進める[1]。1933年4月、大学卒業。 1934年4月に丸の内の経済問題研究所研究員[2]、この年、山崎朝子と結婚。1935年4月、松山高等商業学校講師となり経済史を講じるが、病気のため12月に辞任。 療養のため辻堂に移転。妻とキリスト教伝道誌「葡萄園」を刊行。また、妻の助力により病床でヴェーバー、ゾンバルドの翻訳を行う。1937年に母の養家を継ぎ、梶山姓となる。 1940年5月、福島高等商業学校教授に就任。病状悪化のため11月に辻堂に戻るが、翌年4月に肺結核のため[3]、32歳で死去。妻の朝子も病のため1947年に死去し、1人娘(祥子)が遺された[4]。 1948年に大塚久雄が遺稿をまとめ『近代西欧経済史論』として刊行した。 訳書の運命マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の初訳者で、日本におけるヴェーバー研究の礎を築いた。 梶山訳の『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』は原注が大幅に略されていた。後年に大塚久雄が手を入れ、梶山・大塚の共訳として岩波文庫(上・下)で刊行、長年にわたり版を重ねた。晩年大塚は改訳を行い(梶山の名を削り)自らの単独訳とした(岩波書店、1988年。翌89年に文庫再刊)。 ウェーバー研究者の安藤英治は、梶山の業績を埋もれさせてはならないと、名訳の誉れ高い梶山訳の復刻を企画。略されていた原注を補いつつ、『プロ倫』の初出(1904-05年雑誌掲載)と論文集(1920年)の異同などの校訂解説を施した書籍を、1994年に出版した。 著書
翻訳
注釈 |