柳家さん遊
柳家 さん遊(やなぎや さんゆう、1945年[1]1月28日 - )は、東京都練馬区生まれの落語家。本名∶中 義夫。落語協会所属。出囃子は「三社祭」。 経歴東京工業高校卒業。噺家になりたいと思いつつも、親のために一度は諦めて社会人になった経験を持つ。 1965年3月、五代目柳家小さんに入門し、本名から取った前座名「柳家小よし」を名乗る。 1970年4月、柳家小団治、三遊亭旭生、むかし家今松と共に二ツ目昇進し「柳家小三太」と改名。二ツ目になるとき師匠に相談したら「小團治」と「小三太」が余っており、同時昇進の武助と二人でジャンケンで決めなさいと言われたが、武助が「ジャンケンでなく、彼女に相談して決めてもいいですか」と言い、その結果武助の彼女が小團治を選んだので、さん遊は「小三太」になった。 1980年4月、真打昇進し「六代目柳亭小燕枝」を襲名。師匠・五代目柳家小さんが襲名する予定だった名前だが、五代目小さん本人はこの名前を気に入っていなかったという。 2020年7月1日、「柳家さん遊」と改名。本来は年度当初に改名する予定だったが、コロナのごたごたで伸びてしまった。 芸歴
人物三遊亭歌司、三遊亭圓丈、古今亭志ん駒、六代目柳家小団治、柳家さん八、三遊亭圓龍、むかし家今松、初代古今亭志ん五、二代目金原亭馬の助、橘家竹蔵、柳家小袁治と共に同期会「落友舎」を結成している。 桂藤兵衛、四代目入船亭扇蔵と共に定期的な落語会を開いている。 師匠小さんに『道灌』を教わった際、「その人間の料簡になれ」とだけ教わった。 楽屋ではトンガリの正蔵(林家彦六)、小トンガリの小さん(五代目小さん)と言われるほど師匠が短気だったため、内弟子であったさん遊(当時小よし)は小言を喰らう機会も多かった。当人曰く、大師匠の桂文楽は雲の上の人であったと話しており、また寄席では三遊亭圓生に気に入られていたと話している。 愛煙家であるが医者に禁煙を勧められ、禁煙をしていた時期がある。 演目NHK Eテレで放送されていた「てれび絵本」えほん寄席では、「馬のす」「つる」の出演・声の出演をしている。また音源として「談志が選んだ艶噺し」では「蛙茶番」を、「艶ばなし落語」では「五人廻し」を残しているが、寄席で艶噺しをすることは稀である。 受賞
脚注注釈出典
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