板倉勝晙
板倉 勝晙(いたくら かつあき)は、江戸時代後期の大名。備中国松山藩5代藩主。官位は従五位下・左近将監、周防守。板倉家宗家11代。 略歴4代藩主・板倉勝政の四男として誕生。幼名は新十郎。初名は勝慶。 享和元年(1801年)3月8日、父の隠居で家督を継ぐ。しかし文化元年(1804年)7月8日、熱中症により21歳で死去し、跡を長男の勝職が継いだ。法号は大洞院殿雲山源竜大居士。墓所は愛知県西尾市貝吹町の長圓寺。 系譜 |
板倉勝晙
板倉 勝晙(いたくら かつあき)は、江戸時代後期の大名。備中国松山藩5代藩主。官位は従五位下・左近将監、周防守。板倉家宗家11代。 略歴4代藩主・板倉勝政の四男として誕生。幼名は新十郎。初名は勝慶。 享和元年(1801年)3月8日、父の隠居で家督を継ぐ。しかし文化元年(1804年)7月8日、熱中症により21歳で死去し、跡を長男の勝職が継いだ。法号は大洞院殿雲山源竜大居士。墓所は愛知県西尾市貝吹町の長圓寺。 系譜 |