松田翔太 (野球)
松田 翔太(まつだ しょうた、1990年5月17日 - )は、大阪府箕面市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。NPBでは育成選手であった。石川ミリオンスターズ時代の登録名は「翔太」。 経歴小学3年時から北摂ドリームス小学部で本格的に野球を始め、箕面市立第二中学校では北摂ドリームスで投手として活躍。高校入学直前に一度は野球を辞めることを考えたが、石川県の金沢学院東高に野球留学することを決めた[2]。 高校時代は、1年夏からベンチ入りした。高校2年生だった2007年の高校野球石川県予選で、チームを創立初となるベスト4に導く活躍を見せた。また9連続奪三振を記録した。2008年の高校野球石川県予選はベスト8に終わったが、大会屈指の左腕として注目を集めた。 周囲からは大学進学を勧められたが、「夢だった世界に入りたい」という思いから、2008年9月15日に大野練習場で行われた入団テストを受験。合格には至らなかったがスカウト陣がセンスを惚れ込み、育成枠の候補としてあげられた(この時唯一合格したのが4位に指名された申成鉉)。他にもロッテ・日本ハムの入団テストを受けていた。ちなみにロッテの入団テストには日生学園第三高(現・自由ヶ丘)の山林芳則と一緒に受けている。これらの経緯で、2008年10月30日のドラフト会議で広島東洋カープから育成選手として指名を受けた。 2009年シーズンは、二軍で10試合に登板するも防御率7.15、2010年シーズンは二軍で10試合に登板し防御率5.23であった。 2011年シーズンも二軍で16試合に登板し防御率4.09であった。同年10月13日に戦力外通告を受けた[3]。11月7日、自由契約公示された。なお、オフには12球団合同トライアウトを受けた。 2012年2月、BCリーグの石川ミリオンスターズからドラフト指名を受け、2月27日入団発表された[4]。登録名は「翔太」。オフにはBCリーグからの派遣でコロンビア・ウインターリーグに参加した[5]。 2013年7月25日に福井ミラクルエレファンツへ移籍[6][7]。登録名も本名に戻すことになった。 選手としての特徴・人物体のバランスが良く、肘の使い方が上手い。持ち味は、最速143kmの直球と「中学から打たれたことがない」というパームボールなどの多彩な変化球である。反面、四死球が多いなど制球力に課題を残している。 多彩な投法で投げることができる器用な投手で、オーバースロー、スリークォーター、サイドスローに加えて、左腕では珍しいアンダースローでの投球も行うことができる[9]。 遠縁の親戚には、元プロボクサーで俳優の赤井英和がおり、祖父の松田博文は1965年の世界柔道選手権68kg以下級の金メダリスト。「ケンカは苦手です」と笑うが、マウンド上では声を張り上げるなどの闘志を見せている。 詳細情報年度別投手成績
独立リーグでの投手成績
背番号
登録名
脚注
関連項目外部リンク
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