松永武吉松永 武吉(まつなが たけきち[1] / ぶきち[2]、1869年11月19日(明治2年10月16日)[3] - 1936年(昭和11年)1月15日[1])は、日本の逓信・朝鮮総督府官僚。官選島根県知事、錦鶏間祗候。 経歴鹿児島県で旧薩摩藩士松永包泰の二男として生まれる。1891年7月、帝国大学法科大学を卒業。同年8月、逓信省に入省し試補・電気局勤務となる[2][4][5]。 以後、逓信省事務官・大臣官房勤務兼電務局外信課長、同大臣官房秘書課長心得、同大臣秘書官、同大臣官房秘書課長、同参事官、横浜郵便電信局長、兼外務省参事官、郵便為替貯金管理所長、逓信省総務局文書課長、大阪通信管理局長などを歴任[5]。 1904年11月、島根県知事に就任[2]。1908年3月、知事を休職となり、1910年3月、休職満期[5]。同年10月、朝鮮総督府に転じ平安南道長官に就任。1916年3月、京畿道長官に転任。1919年8月、官制改正により京畿道知事に就任。同年9月、朝鮮総督府中枢院書記官長兼同事務官・総督官房外事課長となる。1922年9月に依願免官となり退官した[4][5]。1924年1月24日、錦鶏間祗候を仰せ付けられた[5][6]。 その後、義勇財団海防義会理事、日本航空輸送 (株) 監査役、日本学生航空聯盟会長、帝国飛行協会評議員、同理事を務めた[5]。 栄典
著作
脚注
参考文献 |