澄田信義
澄田 信義(すみた のぶよし、1935年(昭和10年)2月20日 - 2009年(平成21年)6月13日)は、日本の政治家。元島根県知事(5期)。島根県出雲市出身。 来歴・人物1953年(昭和28年)島根県立出雲高等学校卒業。1957年(昭和32年)に東京大学法学部を卒業して日本国有鉄道に入社した。1980年(昭和55年)に和歌山県警察本部長、1982年(昭和57年)に日本国有鉄道監察局長、1986年(昭和61年)同常務理事などを歴任した。 1987年(昭和62年)4月の島根県知事選挙に自由民主党公認で出馬し当選[1]。4月30日に就任した。2007年(平成19年)4月29日まで島根県知事として最長の5期20年務めた。この間、2003年(平成15年)に全国知事会副会長に就任している。退任時には、昭和時代に就任した最後の現職都道府県知事であった。退任後は島根県文化振興財団理事長、島根県社会福祉協議会会長を務めた[1]。2007年(平成19年)11月には旭日大綬章を受章[1]。 2009年(平成21年)6月13日、内臓疾患のため松江市内の病院で死去した[1]。従三位に叙せられた。同年9月13日に県・県議会・県内市町村などで組織された実行委員会主催の「お別れの会」が営まれた。 文献著書
脚注関連項目
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