松平 長煕(まつだいら ながひろ)は、江戸時代中期の大名。美作津山藩3代藩主。官位は従四位下・越後守。結城秀康の玄孫にあたる。
略歴
享保5年(1720年)2月9日(2月29日とも)、白河新田藩主松平知清の三男として誕生。
享保11年(1726年)に従兄で美作津山藩主・松平浅五郎が嗣子無くして11歳で早世したため、急遽末期養子となり、津山藩は10万石から5万石に減らされた上で長煕が家督を継ぐことを許された。藩内では、継承直後から享保12年(1727年)にかけて「山中騒動」と呼ばれる農民一揆が発生し、事態収拾に当たって一揆側の要求を大幅に受け入れた。しかし長煕もまた、享保20年(1735年)10月13日に16歳で死去した。
跡を養子・長孝が継いだ。
系譜
津山松平家 津山藩3代藩主 (1726年 - 1735年) |
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森家 | |
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津山松平家 | |
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