松平資尹
松平 資尹(まつだいら すけただ)は、丹後国宮津藩2代藩主。本庄松平家5代。 生涯延享3年(1746年)3月21日、出羽国庄内藩5代藩主・酒井忠寄の七男として江戸で生まれる。宝暦11年(1761年)8月19日、宮津藩主松平資昌の養子となる。10月1日、将軍徳川家治に御目見する。11月27日、資昌の隠居により家督を継いだ。12月18日、従五位下・大隅守に叙任する。 明和2年(1765年)7月23日、江戸で死去した。享年20。跡は養子の資承が継いだ。 系譜 |
松平資尹
松平 資尹(まつだいら すけただ)は、丹後国宮津藩2代藩主。本庄松平家5代。 生涯延享3年(1746年)3月21日、出羽国庄内藩5代藩主・酒井忠寄の七男として江戸で生まれる。宝暦11年(1761年)8月19日、宮津藩主松平資昌の養子となる。10月1日、将軍徳川家治に御目見する。11月27日、資昌の隠居により家督を継いだ。12月18日、従五位下・大隅守に叙任する。 明和2年(1765年)7月23日、江戸で死去した。享年20。跡は養子の資承が継いだ。 系譜 |