松平康紀

 
松平 康紀
時代 江戸時代前期
生誕 元和5年(1619年
死没 天和3年6月29日1683年8月21日
改名 福松→康常→康紀→孤円(法名)
別名 隼人、伊織
墓所 天徳寺
幕府 江戸幕府旗本 小普請
氏族 松井松平家
父母 父:松平康重
兄弟 亀井政矩室、康政康映康命小笠原長次室、康紀西園寺公満室、牧野康成室、康敬、忠海、康久松平利綱室、竹中重義室、岡田元直室、貫名重用室、貝塚卜伴
養兄弟:松田勝政室(井上源吾の娘)、松井重政室(井上源吾の娘)
前妻:建部政長の娘
後妻:宮崎宮内の娘
康起皆川政能岡田元親康博谷口元丸鈴木成岸康等弓削田忠右衛門室、都築重政
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松平 康紀(まつだいら やすのり)は、江戸時代前期の旗本

経歴

松平康重の四男として生まれる。寛永17年(1640年)8月23日、父の遺領のうち2000石を分与される。9月11日に兄の康映播磨国に移封されると、佐用郡の内から分け与えられ、小普請に入った。延宝8年(1680年)12月25日に致仕し、天和3年(1683年)6月29日に65歳で死去。

系譜

参考文献

 

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