松平定基
松平 定基(まつだいら さだもと)は、江戸時代中期の大名。伊予国今治藩の第4代藩主。定房系久松松平家4代。官位は従五位下・美作守、采女正。 生涯貞享4年(1687年)2月17日、第3代藩主・松平定陳の長男として誕生。元禄13年(1700年)12月に従五位下、美作守に叙任する。元禄15年(1702年)、父の死去により跡を継いで采女正となる。藩政においては総社川の改修工事を行なうが、工夫たちに賃金を支給せず、無理な工事を行なったため、完成までには至らなかった。さらに藩内の士風が乱れたので粛清も行った。 享保17年(1732年)2月2日、従弟で婿養子・定郷に家督を譲って隠居し、宝暦9年(1759年)7月13日に死去した。享年73。 系譜 |