松平信道
松平 信道(まつだいら のぶみち)は、江戸時代中期の大名。丹波国亀山藩の第3代藩主。官位は従五位下采女正、若狭守、紀伊守。形原松平家13代当主。 略歴宝暦12年(1762年)1月22日、2代藩主・松平信直の長男として誕生。安永7年(1778年)12月、従五位下・采女正に叙任される。安永8年(1779年)に若狭守に遷任する。天明元年(1781年)閏5月27日、父の隠居により家督を継いだ。このとき、紀伊守に遷任する。翌年3月25日に桑田郡山本村に公儀筏役に関する朱印状を発行している[1]。 幕命により禁裏警護や京都警護を務め、天明8年(1788年)3月の天明の大火の際には自ら藩士を率いて火消しに出動した[2]。4月に奏者番と寺社奉行見習いを兼任する。6月には正式に寺社奉行になった。寛政の改革では松平定信の側近として幕政に参与している。藩政においては、寛政元年(1789年)に「領中刑律89条」という法令を制定している。 寛政3年(1791年)8月18日に死去した。享年30。跡を長男・信彰が継いだ。 系譜出典 |